・捜し求める神
主イエスが取税人や罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにしているのを見て、パリサイ人らが非難しました。そこで主イエスは、2つのたとえ話を通して、ご自分の使命とは何か、またご自分を遣わした神の姿は何かを示しています。それは失われた罪人を捜し求める神の姿でした。
・一匹を捜す羊飼いのたとえ
最初のたとえは迷子になった羊を捜す羊飼いのたとえです。彼は99匹の羊を野原に残してでも「いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩」くという話です。羊飼いとしての愛の本性は、失われた羊に向けられ、どこまでも捜し歩くということです。「見つけたら、大喜びで…」とありますが、いつの場合でも喜びは、真実な愛の果実です。
・銀貨を捜す女の人のたとえ
もう一つは、銀貨を失った女の人のたとえです。彼女はなくした一枚のために「見つけるまで念入りに捜」すというのです。9枚残っていても失われた1枚を貴重とし、それに執着するのです。そしてこの場合も「見つけたら」自分だけにとどまらず近所の人々まで呼んで喜びを分かちあうのです。
・罪人の悔い改めを求める神
以上のたとえを通して、神は「ひとりの罪人の悔い改め」を切に求める方であることが示されています。それが神の愛の本性であり、そこにいつの場合でも神の喜びがあり、また「神の御使いたちに喜びがわき起こる」のです。
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