・病の霊につかれた女の癒やし
主イエスはある安息日に、会堂で18年間、病の霊につかれて腰が曲がった女を見かけて、御元に招き、み言葉により癒やしました。「女はたちどころに腰が伸びて、神をあがめた」とあります。主イエスの救いがあるところでは神の栄光もまた現れて、褒めたたえがあります。
・アブラハムの娘のため
「それを見た会堂管理者は」安息日に癒やしの業が行われたことに憤ったとあります。それに対して主イエスは、安息日に牛やロバの綱を解いて水を飲ませるのに、どうしてアブラハムの娘をサタンの束縛から解いてはならないのかと、彼らの偽善を指摘します。
またサタンの束縛を解いた主イエスこそ、安息日を凌駕する安息の主、神の子キリストであることを示しています。
・信仰によるアブラハムの娘のため
ガラテヤ3:7に「信仰による人々こそアブラハムの子孫」とあります。つまり、今は私たちキリスト者が、信仰による子孫とされて、神に選ばれ、愛された者とされているということです。それは私たちの生涯の中で、さらにキリストの栄光が現され、サタンの束縛が打ち砕かれるためです。また、そのことで神が絶えず、賛美されるためです。
0 件のコメント:
コメントを投稿