・火を投げ込むため
主イエスはご自分が地上に来られた目的について「火を投げ込むため」と語ります。人々は主イエスについて平和の君という期待を持っていたのですが、それとは正反対のイメージです。
主イエスが語る「火」とは、目に見えない聖霊の火です。罪との妥協で偽りの平和の世界は、聖霊の火によって燃やされなければならないのです。その「火」によって初めて、真実の平和が世に訪れるのです。
・イエスの火のバプテスマ
「わたしには受けるバプテスマ」とあります。つまり世に火を投げ込む前に、ご自身が火のバプテスマによって燃やされ、苦しむということを預言しております。つまり神の怒りに焼き尽くされ、同時に肉の姿で罪を焼き尽くすということでした。
・私たちの火のバプテスマ
「…むしろ、分裂」とあります。主イエスご自身が受けたバプテスマによって、今度は福音と言う形で聖霊の火が弟子たちに与えられます。それによって弟子たち自身と世との関係に火が投じられることになります。それが「分裂」です。
私たちも福音のもとにありますが、その火は、私たちの内側と世との関わりの中で、罪と義、汚れと聖をことごとく分離させます。そこでは多少の痛みが伴いますが、しかしその「火」を通して平和が訪れることになるのです。
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