・ナザレでの宣教
主イエスはご自分の故郷の町ナザレに行き、安息日、会堂で、イザヤ書61章を朗読しました。「主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから…」とあります。この箇所は、ヨベルの年に例えて、キリスト到来とともに福音宣教が始まり、神の救いが実現することが預言されています。
・「主の恵みの年」
「主の恵みの年」とは、神が民を「受け入れる時」「招待の時代」という意味です。福音宣教とともに、神の国の門が開かれて、キリストを通して神が罪人たちを招待しているということです。主イエスは朗読の後「きょう…実現しました」と宣言しました。「きょう」とは、ただナザレで宣言された日だけではなく、福音が宣べ伝えられる時、いつでも「きょう」であり、そこに神の国の開門と招待があります。
・躓きと拒絶
ナザレの人々は、主イエスのことばに驚きましたが、同時に「この人は、ヨセフの子ではないか」とイエスの貧しき外見に躓きました。彼らはキリストは輝かしい存在という先入観があったからです。彼らは主イエスと福音を拒絶し、イエスを崖から突き落とそうとしました。
いつの時代にも、福音は小さき人間たちによって語られ、躓きが伴います。しかし、そこに神の国の門が設けられており、それを拒絶することは、拒絶され、受け入れるものは受け入れられるのです。