・みこころについての知識
コロサイ教会の人々は救いの中に置かれていましたが、異教世界にあったため「神のみこころについての知識」がありませんでした。神の救いとその目的についての知識ということです。「知識」とは部分的ではなく、救いの全体像ということです。
「霊的な知恵と理解力によって」とは、人間の理性だけによらず、御霊の導きの中で知り、理解するということです。
・神を知る知識
「みこころを知り」それに従うときに、信仰生活に様々な実が生じます。「神を知る知識」は、実際的信仰生活の中で増し加わります。ここでも「知識」とは、一部分的なものではなく、全体的であり、全人格による出会いと交わりを意味します。それにより、神が私たちの父であり、私たちを愛してやまない方であることを知ることになります。その知識は生涯に渡って深まっていくべきなのです。
・父の神に感謝する
さらに神は私たちのために御国を待ち望む「忍耐と寛容」を与え、「天の相続」への希望を確かなものとしてくださいます。そのようにして私たちは、心から「父なる神に喜びをもって感謝」するようになるのです。それは天においても大きな喜びとなります。(ルカ15章)