2019/10/24 コロサイ1:5~8 聞き 理解すること


・福音の真理のことば
 パウロはキリスト教の救いは「福音の真理のことば」によることを明示します。「ことば」は、閉ざされたものではなく、公にされ、だれにでも、どの時代にも、同じように伝達できるものです。その点、あらゆる時代の諸宗教と異なります。そこでは神秘体験、呪文、儀式などを重んじられているからです。

・聞き理解すること
 福音を自分のもとするために大切な態度は「聞き」とあります。福音はことばですからそれを自分の内に獲得するためには「聞く」姿勢が大切になります。「聞く」姿勢によって、その受容度は格段の差が付きます。「信仰は聞くことから」ローマ10:17,「聞く耳と、見る目とは、二つとも主が作られたもの」箴言20:12とある通りです。
 さらに「…ほんとうに理解」とあります。ことばですから、意味が込められています。それを理解するときに、「ことば」は心に刻まれ、その人のうちに救いと新しい生命を与えます

・実を結び広がり
 「勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けて」とはコロサイをはじめとした、当時の教会のあり様です。私たちの時代には福音のことばは近くにあるのですが、忙しく多くの情報にあふれ「聞き…ほんとうに理解」ということが少ない時代です。この悪魔の罠を断ち切ったときに、私たちの内にも福音が実を結び勢いを持つと信じます。

2019/10/20 コロサイ1:1~4 祈りと愛


・あいさつ
 コロサイの町は現在のトルコ内陸にありました。交通の要所として商工業が栄えていました。そこに福音が伝えられたのはパウロのエペソ伝道の頃と思われます、パウロ自身は直接、訪ねたことはありませんでした。
 しかしパウロは、手紙において使徒としての立場を明瞭にしています。それは教会が使徒的福音のもとにしっかりと立つことを願っていたからです。彼らもまた福音によって「聖徒たち」とされ、新しい時代の神の民として整えられなければならなかったのです。

・祈りと愛
 パウロはコロサイ教会を見てはいませんでしたが、愛していました。その愛は具体的には、まず祈りという形で示されていました。「いつもあなた方のために祈り…感謝している」とある通りです。「聖徒たち」の成長は、単に福音を蒔いただけではなされず、多くの祈りによるのです。

・信仰と愛のため
 パウロが「聖徒たち」のために祈り感謝していた内容は、彼らのうちに福音によって信仰が深まり愛が増し加わることでした。「信仰から信仰に進ませる」とありますが、信仰は成長していくものです。また愛とは仲間内の人間的な愛ではなく、多くの聖徒たちをも愛する神の愛アガペーです。
 私たちの教会の場合も、キリストの福音によって信仰と愛が育っていますが、さらに愛の祈りによって成長していくことを願うのです。

2019/10/13 出エジプト40章 ご臨在と栄光の場


・幕屋と主の栄光
 シナイ山のふもとで、神様はモーセに幕屋を作ることを命じられました。それは移動式神殿であり、そこを神の臨在の場所とするためでした。シナイ山に下った神が、今度は、そのようにして民の只中に臨在されたことになります。旧約の民にとって、そこが礼拝の場所でした。

・主の栄光
 すべて、主なる神の命令通りに幕屋を完成させたとき「雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた」とあります。「雲」は、神の臨在の証として目に見える形で現れたのです。「満ちた」とは、しっかりと神がそこに宿り、神のご性質である聖さ、力、恵みが、現れ出たことを示す描写です。
 このように神が民の中に臨在することで、民は荒野の40年を安全に宿営し、また行進することができたのです。ソロモンによるエルサレム神殿建設は、これを引き継いだものです。

・さらなるご臨在と栄光の場
 しかしながら、旧約幕屋は、初めから仮の神殿で模型です。本体は、キリストによってもたらされました。さらには、キリスト信仰者の集団である教会が、真の神殿とされています。「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところ」エペソ1:23とあるとおりです。それを肉の目ではなく、信仰の目で知り、キリスト教会をたて上げていく必要があります。

2019/10/6 出エジプト記35:4~19 心から進んで


・幕屋と奉納物
 シナイ山のふもとで、モーセは神臨在と礼拝の場所である幕屋を作ります。その材料は、どれも高価で貴重なものでした。「金、銀、青銅」青色、紫色、緋色の撚り糸、亜麻布、やぎの毛、赤くなめした雄羊の皮、じゅごんの皮、アカシヤ材 」とあります。幕屋はテント式神殿でしたから、それにふさわしい品々がひつようとされました。またこれらの奉納物は「あなた方は」とあるように、神の民自身が捧げるものでなければなりませんでした。

・心から進んで
 さらに奉納物について「すべて、心から進んでささげる者」とあります。聖霊に動かされて献身する姿であり、自分から進んでなそうとする自発心が見られます。神の幕屋は、いつの場合でも、心からの献身と奉納物によって建てられるのです。他に「心に知恵のある者」「感動した者」ということばがあります。この人たちも聖霊によって知恵と感動と志を与えられた人々です。

・現代の教会
 この出エジプト記の幕屋建設の姿勢は、それ以降の旧約の民、また現代の教会にも通じるものです。私たちの教会には、会堂があり、そこで礼拝をはじめとして様々な活動がなされています。これは聖霊が導いてくださったものですが、なお、聖霊の導きと祝福をいただくためには、奉仕と捧げものにおいて「心から進んで」という志と献身が必要です。

2019・9・27 召天者記念礼拝 多くの証人に囲まれて へブル12:1


・多くの証人たち
 旧新約の信仰者たちは、みな私たちの信仰の証人たちです。信仰とは、天の故郷の存在を証しする証人と言うことです。また私たちの教会の召天者たちも、より身近に私たちにたいして天の故郷の存在を証しする証人たちです。

・雲のように
 「雲のように私たちを取り巻いて」とありますが、私たちの召天者も、いつの間にか多くなり、まさしく「雲のように」私たちを取り巻いている状態です。雲は、神の臨在を示しますが、召天者たちを覚えることは、神の臨在と約束の確かさを確認する機会となります。

・重荷と罪を捨てて
 私たちの召天者たちは、私たちが確実に、天に凱旋するための応援団のようであることを示します。そのために、私たちに必要なことは「いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨て」ということです。世の重荷と罪は、私たちの妨げとなるだけで、何の益もありません。

・忍耐を持って
 また「競走を忍耐をもって走り続けよう」とあります。私たちの信仰の歩みは、さながら運動競技のようです。 絶えず前向きになり、前進していくことだからです。それは一瞬のことではなく、生涯に渡って持続させることなので、「忍耐」が必要とされるのです。そして諦めないで「忍耐」し続けさえすれば、みな勝利者となるのです。