2019/7/28 出エジプト19:1~6 祭司の王国 聖なる国民


・宝の民
 モーセは民をシナイ山の麓に導きました。神は民との契約を結ぶにあたって、彼を山の頂に呼び寄せて、契約の目的を示します。それは第1に「すべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる」ということでした。すべての国は、神が起こし神が支配する国ですが、特別に神が尊び、大切にする民ということです。

・祭司の王国、聖なる国民
 さらに「祭司の王国、聖なる国民となる」と述べます。祭司とは神と人との仲介となる存在です。神臨在のもとで神のことばを受けて語り、人々の為に神にとりなす存在です。諸国の中で「祭司の王国」とは、イスラエルの国全体が神と諸国民の間に立ち仲介となると言うことです。
「聖なる国民」もまた、神の臨在する国民、神の領域にある国民と言うことで、諸国民に対して、神の臨在を知らせる役割をもつことです。しかし、旧約の民の特徴は、外的区別で聖のひな形をつくるだけでした。

・教会
 この後、イスラエル民族は役割を果たすのですが、そこで完成することはありませんでした。出エジプトの出来事はすべてひな形であり、完成は本体において実現するからです。事実、この時から1500年後にキリストが到来して、外的な形ではなく、霊的で真実な「祭司の王国」「聖なる国民」を集めることになります。それはキリストを信じる諸国民からなり、彼らの内に父の神は臨在し、彼らをも霊的「聖」の中に入れてくださったのです。私たちの教会がそれです。

2019/7/21 出エジプト17:8~16 主はわが旗


・アマレクとの戦い
 シンの荒野でイスラエルの民は、初めて戦いを経験します。アマレク人は荒野の民で、彼らは遊牧と略奪を生業とする人々でした。モーセはヨシュアを指揮官に任命して戦場に出します。彼はモーセの従者であると同時に、約束地でリーダーとして幾多の戦いを指揮することになる人物でした。

・モーセの手
 この時、モーセ自身はアロンとフルという長老を連れて丘の頂きに登り、神の杖を手に持ってかかげました。「モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった」とあります。肉と武器の戦いの背後で、霊の戦いが展開されていたのです。モーセの手が重くなったときに、アロンとフルが両側からモーセの手を支えたので、結局、ヨシュアはアマレクを打ち破ることができたのでした。

・主は わが旗
 モーセは記念の祭壇を築き、アドナイ・ニシと名付けました。「主はわが旗」という意味です。神の民にとってどのような戦いや業も、根本は霊の闘いであって、祈りを通して主なる神に向き、その祝福を求める大切さを示したのです。
 このことは新約の民である私たちの場合も同様です。主イエスのために、色々と業や奉仕をなすのですが、背後に祈りがなければ「アマレク」に圧倒されるのです。反対に祈りのバックアップですべての奉仕は祝福されということです。

2019/7/7 出エジプト16:1~15 天からのパン


・つぶやき
 出エジプトから1ヶ月が過ぎてシンの荒野に入った時、イスラエルの会衆は、食料の欠乏していることでモーセとアロンに対して「つぶやき」ました。「つぶやき」は人間的性急さからおこることで、本質は「神に対する」不信仰と反逆心です。彼らは神の民として選ばれましたが、古い体質のままでした。

・天からのパン
 そこで神は、荒野の40年間、徹底した訓練を与えました。それは神の恵みによって天から食料を与え、それに依存して生きる習慣をつけさせることでした。夕方のウズラもそうですが、何よりも朝に宿営の外に生じる「マナ」がそれでした。彼らは、神のことばに従って毎朝、それを集めて食料にしました。不思議にもそれは、各人、各家庭にちょうど良い量が与えられました。

・みことばによって生きる訓練
 この出来事について、後にモーセは次のように語っています。「人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるため 」申命記8:3と。そのことをまずは、「マナ」という奇跡の食物で示されましたが、その意図することはみ言葉によって生きるということです。
 この点について主イエスご自身も次のように語ります。「人は神の口から出る1つ1つのことばによる 」マタイ4:4。それにより人間として神の子として祝福された歩みが可能となるのです。

2019/6/30 出エジプト14:1~14 海のなかの小道


・海辺で
 イスラエルの民は、雲の柱・火の柱に導かれて荒野の道に向かいました。しかし進んだと思ったら、引き返すように命じられ、ついに海辺の袋小路に宿営することになりました。この有様を見たパロは、再び心をかたくなにして、エジプトの全戦車部隊を率いて追撃してきました。

・恐れず、黙って
 イスラエルの民は、エジプト軍を見た時に「非情に恐れて、主に向かって叫んだ」とあります。またモーセに対してはつぶやきと非難の言葉を浴びせました。幾多の御業を見た後も、彼らの不信仰体質は変わっていませんでした。
 「恐れてはならない…あなたがたは黙っていなければならない」とモーセは語り、これから起こる神の救いをしっかりと見て、心に刻むように命令しました。

・海のなかの小道
 神の命令により、モーセが杖を海に差しのばしたとき、神の救いが現れました。強い東風が吹き、海は右と左に壁のようになって退き、海の真中にかわいた地が現れました。民はその所を進んだのでした。まさしく神の救いの道でした。エジプト軍は追撃してきましたが、その時には海が元に戻り、敵は海のなかに沈んだのです。
 この出来事は、み民の心と歴史に刻まれることになりました。現代の私たちも、この出来事を心に刻むべきです。その時、今の時代でも神の救いが見事に起こるからです。