・船旅と苦難の預言
パウロ一行は、ギリシヤ、アジヤの教会を後にして、船でフェニキヤそしてエルサレムへと向かいます。途中の町々で弟子たちと会いますが、彼らは異口同音にエルサレムでの苦難を示されて、パウロの旅を中止するように要請します。
・御名のためなら
するとパウロは「…私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」と答えました。パウロの使徒としての使命感が強く表されています。彼はキリストと出会い、使徒としての召命を得たとき以来、もはや古い自分のに生きるのではなく、キリストの御名のために生きる姿勢が、明確にされていました。そしてキリストとのための苦難、だけではなく死も覚悟したいき方となっていました。
・殉教者の精神
パウロの姿勢は、すべてのキリスト者も学ぶべき信仰姿勢です。それは彼の手紙でも示されています。「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です」(ピリピ1:21)
このパウロの示すキリスト者の信仰姿勢は、後に殉教者の精神と受け継がれます。それは地上で生きるためにも、御国に凱旋するためにも、有益で筋の通った生き方です。