・苦難のしもべ
イザヤ53章では旧約聖書全巻が待望する人物、福音の中心人物についての預言があります。彼は人間として地上に誕生し、人知れず成長します。しかし彼は「私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない」人物でした。まさしく苦難のしもべでした。
・私たちも「彼」を…
彼は人々の中で際立つ「人」でした。「さげすまれ、人々からのけものにされ」たからです。ただの「さげすみ」ではなく、「人が顔をそむけるほどさげすまれ」ました。それは彼が「悲しみ(痛み)の人」にあったからでした。私たちも、彼を神に捨てられた人として「尊ばなかった」とあります。
・「彼」は私たちを…
「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛み(悲しみ)をになった」
彼の病と痛みは、私たちが罪の罰として受けなければならなかったものということです。彼は私たちの罪と罰の一切を担って、打たれ、刺し通され、それによって私たちはいやされ救われたのです。苦難のしもべは、私たちの贖い主であったということです。
・「彼」と私たち
「彼」と「私たち」が結びつけられ、彼の贖いを受け取る手段はただ信仰です。そこでキリスト者は生涯、その絆の中に生き、信仰を深め、彼を愛を自分のものとするようにすべきです。