・キリストを知るすばらしさ
私たちの世界には色々な価値観があります。しかしパウロは「キリスト・イエスを知っていること」が何よりも「すばらしい」と断言します。
パウロが示す「キリストを知る」とは、肉的にキリストを見て知るということではなく、霊とみことばにより知ることです。それは頭で知るということより、むしろ深く交わって人格的に深く知るということを意味します。
・信仰により知り/知られる
また「キリストを知る」ことは、行いによるのではなく、信仰による義に基づくことを明確にしています。それによって「キリストを得」「キリストの中にある者と認められ」るのです。
また「キリストを知る」とは、ダイナミックに知るということも意味します。つまりその復活の力を知るということであり、苦難にあってはキリストの苦しみにあずかるということです。
・復活を目指す
また「キリストを知る」ことは地上においてその苦難と復活の力を味わうということだけではありません。たえず世の終わりの完成に希望を抱いて生きる生き方です。地上においても、キリストを知り、キリストを得るということがあるのですが、それはごく一部です。その完成は世の終わりであり、そのとき私たちは死者の中から完全に復活して面と向かって交わることになります。