2017/3/26 創世記50:15~26 ヨセフ物語…恵みの神



・ヤコブの死と兄たちの恐れ
 父ヤコブはエジプトにおいて、息子たちに見守られて、147年の生涯を閉じました。しかし父の死は、ヨセフの兄たちにとっては、危機感と恐れとなりました。「ヨセフははわれわれを恨んで、われわれが彼に犯したすべての悪の仕返しをするかもしれない」と考えたからです。

・兄たちの和解の努力
 そこで兄たちは、ヨセフの元に使いをやって、父の遺言を掲げて赦すように願い、また「私たちはあなたがたの奴隷です」とへりくだりと服従の姿勢を示しました。
 ヨセフは兄たちの言葉を聞いて嘆きました。兄たちの心の中では、なお和解が徹底しておらず、兄弟間の心の隔たりを感じたからでした。

・ヨセフの赦しと神の恵み
 「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました」とヨセフは兄たちに語ります。人間の罪深さと悪巧みをこえた恵みの神の知恵と力が明示されています。ヨセフは、自分たち兄弟が辿った生涯を振り返り、神の民に対する驚くばかりの恵みの支配を覚えていたのです。

・私たちの生涯も
 ヨセフと兄弟たちと同じように、私たち新約の民も、神の驚くべき恵み、愛の支配の中におかれています。私たちの生涯を振り返ると数々の罪と失敗に落ち込んでしまうのですが、神はその罪と失敗をも、今は善に変えられたのです。「罪の増し加わる所には、恵みも満ちあふれました」ローマ5:20とある通りです。

2017/3/19 創世記41:57~42:5,45:1~8  ヨセフ物語…再会



飢饉と再会
 パロの夢の通りにエジプトは飢饉に見舞われましたが、またカナンでも厳しい状態になりました。そこでヤコブは、穀物を買うために10人の息子たちをエジプトに遣わしましたが、彼らはそこで宰相となったヨセフに出会うことになりました。ヨセフは兄たちを見たときにかつての夢で兄たちが「伏し拝む」様子を思い起こしました。

・兄たちの試練
 ヨセフは自分の正体を明かさず、兄たちを試みます。その試みによって、彼らの中に悔い改めと兄弟愛が芽生えるように願ったのです。
 ヨセフは、末子ベニヤミンを連れてくるように仕向け、さらに兄たちを試みます。すると神のあわれみの中で、兄弟たちの心に悔い改めと兄弟愛が確実に形成されていることを見て取れるようになりました。

・いのちを救うため
 ついにヨセフは、兄弟たちに自分の素性を明かします。兄たちは狼狽しましたが、ヨセフは静かに神の御心を彼らに語るのでした。
 「神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださった」と。
 人間的な感情に左右されていたのでは、人は過去の恨みや憎しみを克服できません。ただ神の視点で物事を整理することが必要なのです。神の視点で、自分の生涯を思い返すときに、私たちの場合も、一切の試練もまた、私の益のためであり、また私の「いのちを救うため」と理解できるようになるのです。

2017/3/12 創世記41:1~16、38~41 パロの夢



み言葉がなるまで
 ヨセフはエジプトに奴隷として売られてから、色々な苦難をなめました。挙げ句の果ては、投獄されるという憂き目に遭っています。しかしどのような苦難の中でも「主がヨセフとともにおられたため、支えられました。そして預言の「ことばがその通りになる時まで」信仰の訓練を受けることになり、その苦難の中で霊的能力、忍耐と希望、様々なスキルも身につけるようになりました。詩篇105:19「主のことばは彼をためした」とあるとおりです。

・パロの夢
 「パロは夢を見た 」とあります。ナイルから上ってきた牛また麦の穂についての夢でした。それは主なる神からの夢であったので、エジプト王パロは、その意味を説き明かすことを切望しました。しかしエジプトの呪法師も知者も誰も解き明かすことができませんでした。そこでヨセフが牢獄から呼びだされて見事に解き明かします。しかも夢が告げる危機に対して、適切な対策を進言します。
 
・ヨセフの昇進
 ヨセフは解き明かす際に、「わたしではなく、神が…」と地上の帝国においても神の主権と摂理が働くことを明快に示しています。彼の態度は、信仰深く、謙遜で、英知に満ちていました。彼は苦難の中で、あらゆる点で、著しい成長を遂げていたのです。王と側近たちはヨセフが告げる危機と対策を受け入れ、さらに彼をエジプトの宰相に抜擢したのです。すべて神の摂理でした。

2017/3/5 創世記37:1~11,18~28 ヨセフの夢



・ヨセフと兄弟たち
 ヤコブは、子どもたちの中でヨセフを誰よりも愛していました。それで彼だけにそでつきの長服を着せていました。その親の溺愛が、反対に兄たちのねたみと憎しみの原因となりました。

・ヨセフの夢
 あるときヨセフは二つの夢を見ます。一つの夢はヨセフの麦束に兄弟たちの麦束がおじぎをする夢でした。もう一つは太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいる」夢でした。それは父と母、兄たちが、ヨセフを伏し拝んでいることを意味しましたが、また神の摂理を現す夢でした。それを知らない兄たちは、ヨセフをますます憎みました。

・ヨセフの悲劇
 父の使いでヨセフが兄の所に行ったときに、悲劇が起こりました。兄たちは「今こそ彼を殺し…」と語り合い、ヨセフを捕らえて、長服をとり、穴に投げ込みます。結局、近くを通ったミデヤン人に銀20枚で奴隷として売ってしまいます。そして雄やぎの血に長服を浸して如何にも野獣に殺されたかのように粉飾して父ヤコブに見せたのでした。ヤコブの悲嘆は深いものでした。

・神の摂理のもとで
 しかし、人間の悲惨と悲嘆の背後では、神の絶対的な摂理が働いていました。そして悲劇のようも思われることが、一家の救済にいたる第一歩であったことが、何十年も後に明らかになるのです。

2017/2/26 創世記35:1~8 ベテルに上る



・危機
 ヤコブ一家がシェケムにいたときに、娘ディナの事件が起こりました。その時、息子のシメオンとレビは悪巧みによって、シェケムの男子を虐殺します。そのためにヤコブ一家は、周囲の諸民族に攻撃されるという危機に直面しました。「身から出たサビ」と言いますが、身内から出た罪悪が危機を招いたのです。

・ベテルに上る
 危機のただ中に神の言葉が、ありました。彼らはシェケムでの生活に慣れ親しみ、そこで豊かにされていたのですが、神は、「立ってベテルに上る」ように命令されたのです。ベテルはヤコブが初めて神と出会った場所でした。また「神のために祭壇を築きなさい」と続きます。神の臨在と恵みを覚えて礼拝の場所を定め、神中心の生活をするようにとの命令です。

・ヤコブの応答と献身
 ヤコブは、神の言葉に対して、即座に応答しました。一家の者たちに対して「異国の神々を取り除き、身をきよめ、着物を着替えなさい」と命令し、自分たちを神の前にきよめています。彼らは色々と世の悪習慣に染まっていたのです。そして神の命令に従って、ベテルに向かって、旅立つのです。それは神に対しての再献身の姿です。

 罪に陥ったとしても、神の名を呼ぶ民に対して神は、愛の深い方です。彼らが旅だったとき、「神からの恐怖が周りの町々に下ったので、彼らはヤコブの子らの後を追わなかった」とあります。