・つぶやかず、疑わずに
パウロは「つぶやかず、疑わずに」と命令します。旧約の神の民は、この隠れた悪で自らを滅ぼしました。新約の民は、同じ過ちを犯してはならないのです。むしろ困難なときこそ、神の救いを信じて、希望を持って前進することが大切です。
・ 傷のない神の子として
「非難されるところのない純真なもの」とあります。世は神に敵対し、罪と汚れが蔓延している世界です。また「まがった邪悪な世代」です。すべてがにおいて、神の御心から離れ、歪んでしまっているのです。
しかし、私たちがキリスト信仰者として召されたのは、世の有様と一線を画し、「傷のない神の子供」として生きるためです。
・世の光として
また「彼らの間で世の光として輝くため」とあります。世の人は見えるものに依存しますが、それらは決して満足させることはありません。むしろ罪と汚れに染まり、絶望状態に陥ります。それはちょうど闇の様相です。しかし、神の民は、どのような闇の中でも、神の光に照らされて歩むように導かれています。ダニエル12:3にも次のようにあります。「大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。」