2017/1/22 ピリピ2:19~24 テモテのように



・テモテの派遣
 パウロはピリピ教会に弟子のテモテを派遣することを伝えています。テモテは、小アジアのルステラの出身で、父親はギリシャ人で異邦人でしたが、敬虔なユダヤ人の母と祖母によって育てられた人です。第2次伝道旅行の際、パウロが、仲間に加え、ピリピにも赴きました。

・テモテのように
 パウロは「テモテのように私と同じ心になって」と、テモテの働き人としての資質を称賛します。パウロはキリストの心を自分の心としていた使徒ですが、テモテもまたキリストの心を持っていたということです。そして、ピリピ教会のことを心から心配し、祈っていたのです。もちろん、ピリピ派遣も喜んで承諾していたのです。

・「キリストのことを求める
 また「だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません」とあります。「キリスト・イエスのこと」とは、キリストが願っていること、キリストの栄光となることという意味です。それは何よりも、教会を建て上げるという形で現されます。この点でも、テモテは真にキリストの心を心として、キリストのことを切に求めていたのです。
 私たちは、パウロの時代から遠く離れ、民族的にも異なるのですが、やはりテモテのように使徒と「同じ心」「キリストの心」をもって仕えたいと願うのです。

2017/1/15 ピリピ2:14~18 世の光として



つぶやかず、疑わずに
 パウロは「つぶやかず、疑わずに」と命令します。旧約の神の民は、この隠れた悪で自らを滅ぼしました。新約の民は、同じ過ちを犯してはならないのです。むしろ困難なときこそ、神の救いを信じて、希望を持って前進することが大切です。

・ 傷のない神の子として
非難されるところのない純真なもの」とあります。世は神に敵対し、罪と汚れが蔓延している世界です。また「まがった邪悪な世代」です。すべてがにおいて、神の御心から離れ、歪んでしまっているのです。
 しかし、私たちがキリスト信仰者として召されたのは、世の有様と一線を画し、「傷のない神の子供」として生きるためです。

・世の光として
 また「彼らの間で世の光として輝くため」とあります。世の人は見えるものに依存しますが、それらは決して満足させることはありません。むしろ罪と汚れに染まり、絶望状態に陥ります。それはちょうど闇の様相です。しかし、神の民は、どのような闇の中でも、神の光に照らされて歩むように導かれています。ダニエル12:3にも次のようにあります。「大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。」















2017/1/8 ピリピ2:12~13 神による志



・救いの達成と従順
 キリストによる救いが、私たちに対して提供されておりますが、私たちもまた、従順という姿勢を貫くことによって、その自分に提供されている救いを達成することができます。
 その場合、目の前にいる誰かに対して従順になるというのではなく、目に見えない神に対してへりくだって従うことが大切です。「わたしがいるときだけでなく、私のいない今はなおさら 」とはそのことです。

・神による志
 「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ…」とあります。神は、天上だけ、昔だけの神ではなく、今も、私たちの内に生きて働かれる神です。特に、私たちの心の内に働いて志を立てさせる働きをなさいます。ですから、私たちは自分の内に湧き起こる志を吟味し、神からの思いである場合は、謙遜さと誠実をもって受け止めることが大切です。

・事を行わせる
「…事を行わせてくださる 」とあります。「事」とは、私たちの信仰生活の事柄、業ということです。それは日常的なことの場合もあるのですが、神に喜ばれる事であり、私たちの救いとなる事であり、周囲の人を救いに導く事につながるのです。
 このように神は絶対的主権者ですが、土の器に過ぎない私たちの心と体をも、新しく生き返ったものとして、豊かに用いて下さるのです。

2017/1/1 詩篇81篇 口を大きくあけよ



・神を賛美する
 新年に神様が求めておられる第1は、神を賛美することです。「喜び歌い」「喜び叫び」「立琴をかき鳴らし」「角笛を吹き鳴らす」ことです。これは神の民の「おきて」また「定め」です。

・神に礼拝する
 神が、第2に求めておられるのは、主なる神のみを礼拝することです。世には色々な偶像や異教がありますが、それらに心を向けないのは当然のことです。それだけではなく、世の富、親しい人間でさえも、神に優先されてはなりません。第1に主なる神に頼り、礼拝することです。
・神に求める…「口を大きくあけよ」
 第3に神が私たちに求めておられることは「あなたの口を大きくあけよ」ということ、つまり神に期待することです。親鳥は、口を大きくあける雛に餌を与えるのですが、私たちの神も、ご自身がおられることと、求めるものには与える神であると信じる者たちに良いものを与えるのです。

・神は最上のものを与える
わたしは岩の上にできる蜜で、あなたを満ち足らせよう」とあります。「岩の上にできる蜜」とは、最上の蜜であり、また地上の食物を超えた永遠の食物と祝福を意味します。神は気前のよい方なのです。