・それゆえ神は
先にキリストの自発的なへりくだりについて記されていましたが、9節では「それゆえ、神は…」と、主語が父の神となっています。父の神は、御心に従って自分をへりくだらせる者を決して、見放すことはしません。必ず、ご介入して、今度は正反対の方向に導かれるのです。それはキリストだけではなく、すべてキリストに連なる者たちについても同様です。
・キリストの高挙
「神はキリストを高く上げて 」とあります。父の神の御業はキリストを高くあげることでした。ご自身の全能の力を働かせて「高く」上げたのです。それはすべての力も権威も凌駕する高さ、ご自分と等しい天の座です。
「すべての名にまさる名を」与えたとあります。つまり、天上と地上の名だたる支配、権威、力、主権よりもすぐれた者としたと言うことです。一切はキリストのためになされた業ですが、それはキリストに連なる信仰者にとっても有意義なことです。私たちもキリストを通して、すべての上に立てられたと言うことです。
・「イエス・キリストは主」
「「イエス・キリストは主である」と告白し …」とあります。万物は、ただ心で信じているだけではなく、口による告白が必要なのです。特に私たちの場合は、キリストのあわれみを一身に受けた者たちですから、天上の何ものよりも、大きな声で告白すべきですし、またそうせずにはいられないのです。