2016/4/3 ヨハネ福音書20:19~29 見ずに信じる者は幸い



・イエスが来られ
 週の初めの夕方、復活のイエスは弟子たちがいた部屋に来て、彼らにその姿を現しました。しかし、トマスだけはそこにおりませんでした。彼は誰よりも目に見えるものに執着し、目に見えないものには疎い人物でした。また世界観と視野が狭い傾向がありました。その分、彼が誰よりも愛したイエスを失った時に、絶望感も人一倍に強かったと言えます。

・「見たら信じる」
 他の弟子たちが「私たちは主を見た」と語った時、トマスは「手に釘の跡を見…わきに差し入れてみなければ、決して信じません」と語っています。しかしその心は絶望感に打ちひしがれており、信じる気持ちは毛頭ありませんでした。これはトマスだけではなく、アダム以来、自分の感覚と考えにのみ執着する者の反逆性を帯びた態度です。

・「見ずに信じるものは幸い  
 しかし、主イエスはトマスをも愛して、トマスのためにもう一度、現れ、ご自分の手とわき腹を差しだします。この時、トマスは自分の不信仰と罪に深く気づいて悔い改めています。「私の主。私の神。」との信仰告白は、他の弟子たちを越えた告白となっています。
 最後に主イエスは「見ずに信じるものは幸いです」と語られますが、それは私たちに対しても語っておられることです。