・御名の中に保つ
「聖なる父」という呼びかけがあります。「聖」とは、隔絶されていることを意味します。神は、世と隔絶された存在者で、そこには罪も死も滅びも侵入することはありません。ただ神の栄光と生命が溢れているのです。
「御名の中に…保って」と主イエスは祈っていますが、それは神の聖なる支配の中に保つということです。それは具体的に、弟子たちの信仰が保たれることによって実現します。
・一つとなるため
「わたしたちと同様に」とは、父の神と子キリストが、それぞれの個性を保ちながら、同時に一体である関係のことです。
そこで「彼らが一つとなる」とは、弟子たちの場合もそれぞれの個性が守られつつ、同時に一つの交わりを築くことです。
「一つ」ということは、何よりも教会の中で実現されます。教会はキリストのからだにたとえられ、それぞれがその器官となって構成されるところだからです。
・喜びが全うされるため
また神は私たちの父親ですから、機械的に「1つ」となることを求めているのではありません。その「1つ」において、キリストによる救いの喜びが完全になるからです。私たちの周囲には色々な喜びがありますが、この喜びにまさる喜びはありません。私たちはその喜びを教会の礼拝において、味わい、現すのです。