2015/6/14 ヨハネ福音書13:36~38 「主よ。どこに…」



・「主よ。どこに…」
 ペテロは弟子団のリーダーであるだけではなく、信仰者の典型として描かれています。彼は主イエスが去って行くことを察知して「主よ。どこにおいでになるのですか」と尋ねています。主であり、師であるイエスに付き従って目的地に達することが弟子の本分だからです。

今は…できません
今はついて来ることができません」とあります。「今」とは、十字架前の時であり、自分の罪と神の愛の深さを認識していない時のことです。あるいは、彼がいまだ古い人から新しい人に変えられる以前のことといえます。肉のままの状態では、イエスに従って十字架に向かい神の国に至ることはできないのです。

・十字架の下で
 このことはすべての信仰者にも共通に言えることです。純粋な信仰は自分の罪を深く知るところ、神の愛を知るところから生じます。カルバンは大切な知恵は二つあると語っていますが、その知恵とは自分自身と神についての知恵です。信仰者は生涯をかけて二つの知識を深めていくのです。その発見の場はいつも十字架です。

・後には
「…しかし後にはついて来ます」と主イエスは語りましたが、主イエスの十字架の後、ペテロは全く新しい人に変えられました。そして主イエスの道を自分の道として生涯にわたって従っていったのです。伝説によると最後は、逆さ十字架にかけられたと言われています。