2015/5/17 ヨハネ福音書13:1~11 キリストの洗足



・愛を残るところなく
 「自分の時」とは、主イエスが救いを完成し、勝利者として父の元に返る時を意味します。それはまたペテロを初めとした弟子たちと別れる時を意味していました。そこで主イエスは弟子たちに対しての愛をよく分かるようにして示し、また分かれた後にも継続する愛の交わりを象徴的な形で示しました。

・キリストの洗足
 主イエスは仕える者となって、弟子たちの足を心を込めて洗いました。「夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。」 とある通りです。そこにキリスト愛の形と心が現されたのです。

・洗足と霊的交わり
 ペテロは主イエスによる洗足を恐れ多いこととして拒もうとしました。しかし主イエスは「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません」と語って諭します。この主イエスとの関係とは、昇天後の霊的関係をも意味します。
 つまり、地上に生きる限り弟子たちは罪や汚れに染まることは避けられません。そのようなときに自力本願的に自分の罪を聖めることは不可能だし、そのような努力は誤りです。むしろ素直に主イエスに祈って罪を告白して、聖めていただくことが大切なのです。それによって愛の交わりも保たれまた深まるのです。