・教師/主であるイエス
主イエスは「上着を着けて、再び席に着いて」弟子たちに対して語っています。それはご自分が彼らの「先生であり、主である」ということです。それは単に当時の弟子たちにとって一時的な教師/主というのではなく、絶対的な教師/主ということです。弟子たちも、いつの時代の人々も彼から学び、彼に従うべきと言うことです。
・主イエスの模範
主イエスは弟子たちの足を洗いましたが、それが弟子たちのための模範であることを明示しています。模範とは、人々が心に刻んで覚え、さらにその通りに実践する型ということです。
人は本質ではなく枝葉のことを記憶して、それを真似て満足しがちですが、私たち主イエスの模範をしっかりと心に刻み、実践すべきです。
・互いに足を洗う
「互いに足を洗い合う」というのは自分とプライドという殻を脱ぎ捨てて無になること。さらに相手の必要に答えて仕えることです。また「互いに忍び合い…互いに赦し合う」こともそうです。このようにして、主イエスの弟子たちは、実際に模範にならって自分の殻を破って「仕え合う」ことで成長するのです。
世は互いのエゴとプライドで人間同士がぶつかる社会です。この社会の中にあって、教会は新しい人間関係、新しいコミュニティーの形を提供するのです。