・絶望感と諦念
主イエスがベタニヤに到着したとき、ラザロは墓に入れられて4日も経っていました。マルタはイエスを出迎えましたが、彼女はラザロの死に対して、諦めと絶望の中にいました。主イエスを信じていながら、絶望感と諦めの世界に留まる態度は、不信仰です。
・甦りのいのち
「わたしは、よみがえりです。いのちです」主イエスは「わたし」と「あなた」という個人的関係の中で信仰の奥義を伝えます。また主イエスの恵みと生命は、そのようにしてのみ人の心の中に届くのです。「よみがえり」とは死の力に屈しない生命です。主イエスは地上の生命(プシュケー)を身にまとって地上に誕生しましたが、その奥底にはそれを超えた甦りの生命(ゾエー)を持っていました。また、その生命を人に示し、与えるために地上に来られたのです。
・信じる者は死んでも生きる
主イエスから甦りのいのちを受ける手段は、ただ一つで、それは「信じる」ということです。「わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」とあるとおりです。
主イエスを信じる者は、生まれながらの生命(プシュケー)を持っているのですが、それ超えた生命(ゾエー)が与えられます。そして、彼もまた、主イエスと同じように、よりすぐれた甦りの生命の中で生かされるのです。そこにはもはや死は何の力も持たず、そこにあるのは生命と希望と光のみです。