・神の来臨と審判
イザヤは神が「天を裂いて」来臨し、火のような明々白々たる力で審判をなすことを告白します。これまでも、神は歴史に介入してご自身の民を救い、敵を裁いてこられましたし、未来においてもそのようになさる方です。
しかしイザヤは民の罪深さゆえに、御民も裁きを免れないという現実に打ちのめされています。
・「あわれみ」の接点
そこでイザヤは自分たちの義によってではなく、神のあわれみによって救ってくださるようにと祈り求めています。神は民にとって父であり、民の落ち度も贖う方です。また陶器師として、粘土の欠けをあわれみによって補うことができるお方だからです。
この「あわれみ」だけが神と民を結ぶ接点なのです。事実、神はイザヤの祈りに応えて救い主キリストを遣わし救いを実現されます。
・あわれみの器として
私たちはさらに罪深い異邦人で、本来は「怒りの器」でした。しかし神のあわれみゆえに「あわれみの器」とされています。
このことを自覚して、決して高ぶることなく、むしろ「あわれんでくださった神」に感謝し、讃えるようにしましょう。さらに私たちの祈りも神に「あわれみ」に訴える祈りであることを覚えて、どのような時にも目を覚まして祈りましょう。