・神の作品として
私たちはかつては怒りの器でしたが、イエス・キリストゆえにあわれまれて神の作品とされています。特に優れた人だけがそうではなく、キリストを信じる者は
すべて、神の作品とされています。私たちは自分は小さい者、つまらない者と思っていますが、神の目には高価で尊い作品です。
・良い行いをするため
神の作品であるということは、ただ飾られているだけではなく、神のために働き、機能するものであるということです。
ちょうどキリストが父の神のために地上で働かれたように、私たちもキリストに似たものとして奉仕し、働くと言うことです。
・良い行いを備えられて
「その良い行ないをもあらかじめ備えてくださった」とあります。その行いと働きは、教会の中に、また自分の毎日の仕事の中にあります。これには失業することはなく、いつでもどこでも神が私たちがキリストに似たものとして生活するために神によってあらかじめ備えられています。
・キリストを現す
エペ4:16に「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分…」とありますが、私たちはそれぞれが神の作品であると同時に、互いがコラボレーションして1つのキリストの体である教会を構成します。そこでキリストのその愛の業が現され、さらにはキリストご自身が顕わにされるのです。