・岩盤
主イエスはサマリヤの女に生命の水を与えようとしておりました。生命の水とは、地上の水とは異なり、心の渇きを癒す霊的な水です。
しかし、主イエスとサマリヤの女との間には堅い岩盤がありました。民族の壁、宗教の壁、男女の壁、そして神と人との壁です。これらの岩盤にはばまれて、女はその必要すら理解できませんでした。
・この水を飲む者はまた渇く
井戸や祖先の偉大さに固執する女に対して、主イエスは、その空しさと限界を知らせるために明確に語ります。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。」と。
この悟りは私たちにも必要なことです。私たちも、女と同じように地上の水や物、この国の文化と宗教に固執する傾向があります。これらにすがる者も「また渇くのです。「渇く」というのは、単に喉が渇くというのではなく、生命が果てることを意味します。
・「わたし」が与える水
「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
「わたし」とは、主イエスご自身です。主イエスは私たちの霊の渇きを満たすために、地上に来られました。そして、「永遠のいのちへの水」となる泉を私たちの心の奥底に与えようとしておられます。私たちは、ただ心から求める時に、その水は与えられるのです。