2013/3/3 イザヤ46:1~4 背負う神

・「わたし」に聞け
  人は、偶像などの目に見えるものに信頼を置く体質を持っています。しかしそれらは何の力もなく、かえって足手まといとなるのです。
  「わたしに聞け」と主なる神は、語りかけます。聖書の神は創造主であり贖い主です。神の言葉にさえ耳を傾けるなら私たちは救われます。

 ・背負う神
  「胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者」とあります。私たちの母が胎内に認知する前から、神は私たちを担い、誕生後も親の背後で運んでくださったのです。
  イザヤ書の言葉は当時のユダヤ人に対して語られているだけではなく新約の民である私たち一人一人に語られています。「あなた」のこれまでの人生も神に担われてきたと言うことです。

 ・年を取っても
 「あなたがたが年をとって」「しらがになって」あります。老年になった時、体力が無くなり、病気がちになり、人々に見放されるという不安が増大します。しかし神は「わたしは背負って、救い出そう」と約束してくださいます。
  神は「背負う神」です。その誠実と恵みは徹底しており、ついには私たちの罪を御子キリストに背負わせ十字架に向かわせるに至ります。
  私たちはしっかりと「わたしは背負う」と語りかけてくださっている神のみ声を聞き、その約束に一切を委ねるべきです。