2013/2/17 イザヤ42:1~4 いたんだ葦を折ることもなく

・救いを打ち立てる「しもべ」
  旧約の世界では様々な神のしもべが登場します。みな、神の御心を地上に実現するために派遣された者たちです。しかしイザヤ42章以降に登場する「しもべ」は極めてユニークな存在で、罪と死に対する救い、つまり究極の救い(公義)を打ち立てるために、地上に遣わされます。

 ・「叫ばず、声を上げず…聞かせない」
  彼は罪とエゴの下にある者たちとは異なり、7つの否定的態度を持ちます。「叫ばず、声を上げず…聞かせない」とは、ことさらに自己アッピールをしない姿勢を表しています。彼は自分を知らせるよりも、人々の声を聞き、苦しみと悲惨に耳を傾ける存在であることを示します。

 ・「いたんだ葦を折ることもなく」
 「いたんだ葦を折ることもなく」とは、その優しくあわれみ深い態度を示します。人は弱い存在で心傷つきいたんでいます。その弱さを斟酌し、支え、建て上げる働きをするのです。さらにはその柔らかい心で、罪をきよめ、死んだ者をもも甦らすのです。

 ・十字架のイエス  この「しもべ」とはイエス・キリストのことです。彼は大工の子として誕生し、30才になってから公生涯に現れ、十字架の死をもって地上の生涯を終えました。相手を砕くことに拠ってではなく、自分が砕かれることによって救いをもたらしたのです。その救いは「島々に」あらわにされています。
  私たちがキリストの救いを見いだすためには、まず自分自身の心の「衰え(消え)」「くじけ(傷み)」を直視することが大切です。