・「あなたを贖った」
恐れの中にある民に対して、神は励ましの言葉を与えます。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ…」
神が私たちの近親者となってくださって、私たちを罪から、死から、あらゆる敵と危機からの救済者となっておられると言うことです。
・「あなたは…高価で尊い」
高価とは宝石のように尊い存在であると言うことです。「愛している」とは、利害関係を超えて、永遠の人間関係を結んでくださっていると言うことです。
生まれながらの私たちは、ただ汚れた者ですが、神によって贖われた者は、贖い主キリストゆえに、聖さ、義、良さなどすべての飾りを身に付けています。それで神は私たちをなお愛してくださいます。
・御目を通して自分を見る
私たちは自分の目と頭で自分自身を見る習慣がありますが、それは恐れと絶望に導きます。私たちは神の目を通して自分を見る習慣を身に付ける必要があります。そのとき、生まれながらの自分は罪ある者として示されますが、同時にキリストゆえに永遠の愛の中で生かされ、守られていることに気づかされます。
・神に対する応答
最後に、私たちが神の愛の中に留まるためには、私たちの側でも、心から神と贖い主キリストを受け入れる必要があります。「選ばれた者は、選んだ方を自分でも選ばなければならないのです。」
2013/2/17 イザヤ42:1~4 いたんだ葦を折ることもなく
・救いを打ち立てる「しもべ」
旧約の世界では様々な神のしもべが登場します。みな、神の御心を地上に実現するために派遣された者たちです。しかしイザヤ42章以降に登場する「しもべ」は極めてユニークな存在で、罪と死に対する救い、つまり究極の救い(公義)を打ち立てるために、地上に遣わされます。
・「叫ばず、声を上げず…聞かせない」
彼は罪とエゴの下にある者たちとは異なり、7つの否定的態度を持ちます。「叫ばず、声を上げず…聞かせない」とは、ことさらに自己アッピールをしない姿勢を表しています。彼は自分を知らせるよりも、人々の声を聞き、苦しみと悲惨に耳を傾ける存在であることを示します。
・「いたんだ葦を折ることもなく」
「いたんだ葦を折ることもなく」とは、その優しくあわれみ深い態度を示します。人は弱い存在で心傷つきいたんでいます。その弱さを斟酌し、支え、建て上げる働きをするのです。さらにはその柔らかい心で、罪をきよめ、死んだ者をもも甦らすのです。
・十字架のイエス この「しもべ」とはイエス・キリストのことです。彼は大工の子として誕生し、30才になってから公生涯に現れ、十字架の死をもって地上の生涯を終えました。相手を砕くことに拠ってではなく、自分が砕かれることによって救いをもたらしたのです。その救いは「島々に」あらわにされています。
私たちがキリストの救いを見いだすためには、まず自分自身の心の「衰え(消え)」「くじけ(傷み)」を直視することが大切です。
旧約の世界では様々な神のしもべが登場します。みな、神の御心を地上に実現するために派遣された者たちです。しかしイザヤ42章以降に登場する「しもべ」は極めてユニークな存在で、罪と死に対する救い、つまり究極の救い(公義)を打ち立てるために、地上に遣わされます。
・「叫ばず、声を上げず…聞かせない」
彼は罪とエゴの下にある者たちとは異なり、7つの否定的態度を持ちます。「叫ばず、声を上げず…聞かせない」とは、ことさらに自己アッピールをしない姿勢を表しています。彼は自分を知らせるよりも、人々の声を聞き、苦しみと悲惨に耳を傾ける存在であることを示します。
・「いたんだ葦を折ることもなく」
「いたんだ葦を折ることもなく」とは、その優しくあわれみ深い態度を示します。人は弱い存在で心傷つきいたんでいます。その弱さを斟酌し、支え、建て上げる働きをするのです。さらにはその柔らかい心で、罪をきよめ、死んだ者をもも甦らすのです。
・十字架のイエス この「しもべ」とはイエス・キリストのことです。彼は大工の子として誕生し、30才になってから公生涯に現れ、十字架の死をもって地上の生涯を終えました。相手を砕くことに拠ってではなく、自分が砕かれることによって救いをもたらしたのです。その救いは「島々に」あらわにされています。
私たちがキリストの救いを見いだすためには、まず自分自身の心の「衰え(消え)」「くじけ(傷み)」を直視することが大切です。
2013/2/10 Ⅰコリント15:35~55 肉体の復活
・12箇条「肉体の復活」
12箇条信仰告白の最後は「肉体の復活」についてです。次のようにあります。「信者は主とともなる永遠の祝福と喜びによみがえり、不信者はさばきと永遠に意識する刑罰によみがえることを信じる。」
・肉体の復活
聖書では、キリストが肉体によって復活したように、信者も肉体の復活することを示します。ちょうどキリストは初穂であり、信仰者はそれと同じように復活すると言うことです。
また復活の体は、御霊に属する体です。それは生まれながらの生命に血肉の体があるように、御霊の生命にふさわしい「よりすぐれた体」栄光ある姿」でよみがえります。
・最後の審判と復活
肉体の復活は、最後の審判時に起こります。そのときに、信仰者は新しい体に復活して、「主とともなる永遠の祝福と喜びによみがえり」ます。それは救いの完成の時です。
しかし、キリストをしりぞけた者はその救いを獲得することなく、永遠の刑罰に陥って滅びます。
・信仰生活の励み
ですから、私たちは「心を引き締め、身を慎み、…ひたすら待ち望」(1ペテロ1:13)む姿勢を整えるべきです。それは地上のどのような時でも、キリストを信じる信仰を強め、救いの完成に向かって希望を持って生きることです。
12箇条信仰告白の最後は「肉体の復活」についてです。次のようにあります。「信者は主とともなる永遠の祝福と喜びによみがえり、不信者はさばきと永遠に意識する刑罰によみがえることを信じる。」
・肉体の復活
聖書では、キリストが肉体によって復活したように、信者も肉体の復活することを示します。ちょうどキリストは初穂であり、信仰者はそれと同じように復活すると言うことです。
また復活の体は、御霊に属する体です。それは生まれながらの生命に血肉の体があるように、御霊の生命にふさわしい「よりすぐれた体」栄光ある姿」でよみがえります。
・最後の審判と復活
肉体の復活は、最後の審判時に起こります。そのときに、信仰者は新しい体に復活して、「主とともなる永遠の祝福と喜びによみがえり」ます。それは救いの完成の時です。
しかし、キリストをしりぞけた者はその救いを獲得することなく、永遠の刑罰に陥って滅びます。
・信仰生活の励み
ですから、私たちは「心を引き締め、身を慎み、…ひたすら待ち望」(1ペテロ1:13)む姿勢を整えるべきです。それは地上のどのような時でも、キリストを信じる信仰を強め、救いの完成に向かって希望を持って生きることです。
2013/2/3 イザヤ41:8~14 恐れるな
・不安と恐れ
地上に生きる私たちは、基本的に恐れの状態にあり、心の奥底には恐れの感情が溢れています。何か、困難な出来事が起こったときに、その感情はあふれ出してきます。それは神の民であっても同じです。
・選ばれた神のしもべゆえ
しかし主である神は、あらゆる仕方で神の民から「恐れ」の感情を取り去ろうとなさいます。まず、私たちが神によって「選ばれた民」であり、「神のしもべ」「神の友/神に愛されている者」であることを覚えさせています。神は、私たちのために「贖う者/近親者」となってくださったのです。
・神の臨在と助けゆえ
「恐れるな。わたしはあなたとともにいる」「恐れるな。わたしがあなたを助ける」とあります。神は目には見えませんが、この約束の通り、共にあり、助けてくださる方です。私たちが虫けらのような小さな者、罪人であっても、心から救いを求める時、救ってくださるのです。
・「恐れるな」を心に刻む
私たちは恐れの感情に打ち勝つには、神の約束を信じるとと共に、その言葉をしっかりと心に刻むことが大切です。心に刻まれた御言葉は、ちょうど大波の時にも、決して崩れることがない防波堤となって、私たちを守るのです。
地上に生きる私たちは、基本的に恐れの状態にあり、心の奥底には恐れの感情が溢れています。何か、困難な出来事が起こったときに、その感情はあふれ出してきます。それは神の民であっても同じです。
・選ばれた神のしもべゆえ
しかし主である神は、あらゆる仕方で神の民から「恐れ」の感情を取り去ろうとなさいます。まず、私たちが神によって「選ばれた民」であり、「神のしもべ」「神の友/神に愛されている者」であることを覚えさせています。神は、私たちのために「贖う者/近親者」となってくださったのです。
・神の臨在と助けゆえ
「恐れるな。わたしはあなたとともにいる」「恐れるな。わたしがあなたを助ける」とあります。神は目には見えませんが、この約束の通り、共にあり、助けてくださる方です。私たちが虫けらのような小さな者、罪人であっても、心から救いを求める時、救ってくださるのです。
・「恐れるな」を心に刻む
私たちは恐れの感情に打ち勝つには、神の約束を信じるとと共に、その言葉をしっかりと心に刻むことが大切です。心に刻まれた御言葉は、ちょうど大波の時にも、決して崩れることがない防波堤となって、私たちを守るのです。
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