2012/7/08  イザヤ1:1~9,18~20 罪が緋のようでも

・イザヤ書
  預言者イザヤは紀元前740~690年ころにかけて活躍しました。内憂外患の時代で、外からはアッシリア帝国の進出、内では神殿礼拝と律法主義に限界が見られた時代でした。

 ・旧約時代と隠された反逆心  「わたしが大きくし、育てた。しかし彼らはわたしに逆らった」と非難しています。神が民をカナンの地に招き入れ、旧約律法を与えて祝福したのですが、反対に彼らの反逆心は増大したということです。
  彼らは神殿と律法の諸規則を持っていましたが、表面的に守るだけで、普段の生活で悪をなしていました。つまり表面的宗教生活で自己義認をなし、決して悔い改めることなく行いと心は罪に満ちていました。

 ・来たれ、論じ合おう
 「来たれ、論じ合おう」とあります。神が一人一人をご自分の前に招いています。そこは何も偽ることはできない神の法廷です。そこで神は私たちの罪を明瞭にされます。次には、神の絶対的恩寵を徹底して、私たちの心と魂に示そうとしておられるのです。

 ・罪が緋のようでも
 「あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。」  神の前で私たちの罪は緋のように赤々と示されます。しかし同時に、それらが全く清められて、純白の雪のようにされるのです。
 神のもとには、私たちの想像をはるかに超えた恵みと聖めが用意されているからです。それはイエス・キリストによる贖いです。