2011/10/2 ローマ9:1~ 選びとあわれみの民

・肉の子ではなく
パウロには「大きな悲しみ」と「心の痛み」がありました。それはイスラエル人が神から離れているという現実です。彼自身がその血と伝統の中で育っていたのです。
 しかし彼はあえて、キリスト教会に入り留まったのは、神の民とされるのは、肉によるのではなく神の約束の言葉によるということを知っていたからでした。

・約束の言葉
 聖書を見ると、確かに神の民とされるのは約束の言葉によるということが明らかになります。たとえばイサクの選びの場合は「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」との御言葉によりました。ヤコブの召しも「兄は弟に仕える」との言葉によっています。そして私たちの場合も、「主の御名を呼び求める者は、誰でも救われる」との御言葉によって、神の民とされています。

・神の憐れみ
 さらに私たちが選ばれたのは、私たち自身の「願いや努力」によったのではなく、一方的な「神のあわれみ」によります。あえて神の民として値しない者、小さな私たちに目を留めてくださったということです。
 私たちは異国民であり、日本人の血と伝統の中に生まれ育ちました。確かに、私たちにも「悲しみと「痛み」があります。しかし私たちの場合も、神の選びとあわれみを優先して、心から応答すべきです。 

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