2010/11/28 ローマ3:25 なだめの供え物

・神の怒りと「なだめ」
 神と人間には、根本的な関係が存在しています。神は怒り、人間は恐れるという関係です。神は聖く、義なる方であるので、違反を犯した罪人を裁かずにはおかれないのです。
 そこで、旧約聖書以来、神の側から「なだめ」の手段が示されました。小鳥を、羊などを「なだめの供え物」として殺して血を流すことでした。それによって神の怒りが去り、恵を回復することができると考えられたのです。

・イエス・キリストの十字架
 しかしながら、旧約の「なだめの供え物」は不完全で神の怒りも人の恐れも取り去ることができませんでした。そこで神は真のなだめとしてキリスト・イエスを地上に遣わし、十字架の死にまで到らせたのです。怒りを受けるものは、痛み、苦しみを受け、捨てられるのですが、彼は徹底した「なだめの供え物」として十字架の死を全うしました。その一切が、神のドラマとして起こったのです。

・二乗の義と招き
 十字架の「なだめ」を通して現された「神の義」は、人知を遙かに超える義でした。ただご自分を義とするだけではなく、相手をも義とするもので、いわば二乗の義、超然とした義でした。
 このようにして神は「神の義」を公に示し、同時に、私たちたちを切実な思いで招いておられます。「怒りが去ったから、愛の元に来なさい」と。私たちは「なだめの血」を信仰という器で受け、そして神の御元に近づくことができるのです。

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