・「今」という時
「しかし、今は・・・」とあります。「今」とは、預言者たちが示した「主の日」のことです。その時、旧約以来のすべての預言が成就し、律法とは別の「神の義」が明らかにされるのです。
また「今」という時は、それは歴史上の1点を示すと同時に、福音が宣教されるすべての場と時を意味します。礼拝の場も、「今」という時です。この時、特別に神の恵みと霊が豊かに溢れるのです。
・律法とは別の義
「神の義」とは、神が受け入れ「神の国」に入る基準のことです。旧約聖書の時代、それは律法によって示されていました。それは外側から私たちに対して要求する義でした。また律法による義を完全に満たす人間は誰もいません。
そこで神は「律法とは別に」「しかも律法と預言者によって」預言して「神の義」を示しました。この「別の義」こそが旧新約の主たる流れであり、中心となるのです。
・キリストを信じる「神の義」
「イエス・キリストを信じる信仰による神の義」とあります。
「別の義」は、人間の業を要求しません。ただキリストを信じる信仰による義です。信じるだけで神によって受け入れられ、神の国の民とされると言うことです。
この義(=救い)は、一民族の枠を超えて、すべての民族、すべての人に提供されており、何の差別もありません。
この「神の義」は、今、私たちに提供されており、ただ信仰によって受け取ることができるのです。
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