・疑り深いトマス
主イエスが復活してから使徒たちに現れたとき、トマスだけはそこにいませんでした。「私たちは、主を見た」との使徒たちの言葉を信じることなく、彼は次のような暴言を吐きました。「私は、その手の釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」
トマスは超自然の世界を受け入れず、ただ見る触るの世界だけにこだわるところがある人間でした。しかしそれは誤りであり、不信と反逆を増大させる態度です。
・トマスの悔い改めと信仰告白
主イエスはそのトマスを愛し覚えておられました。彼の前に現れて、傷ついた手と
わき腹をさらします。
トマスは即座に、イエスの愛を知ると共に悔い改めました。もはや触って確かめるなどと言う不遜なことはしませんでした。
「私の主。私の神。」との信仰告白は彼の悔い改めから生まれました。
・見ずに信じる者は幸い
主イエスは「見ずに信じる者は幸いです」と語ります。自分の感覚ではなく、聖書の言葉を通して信じることの大切さを示しております。復活も永遠の生命も神の国も、目に見えない世界です。感覚だけで知ろうとする時に限界があり、不信が生まれます。それはただ「見ずに信じる信仰」だけで知ることができる世界なのです。
聖書は、神が私たちのために、復活の生命、神の愛、永遠の希望を与えようとしていることを知らせているのです。
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