09/10/11 自分の十字架を負う マルコ8:31~38


・人の子の苦難と復活
 信仰告白した弟子たちに対して、主イエスは「人の子の苦難」について示されます。「人の子」とはキリストのことで、贖い主であり、真の人の姿を示します。
 キリストは予知したとおりの生涯を歩みます。ユダヤの指導者たちによって、憎まれ、捨てられ、十字架上で殺されます。彼の地上の生涯は、世の流れによって完全に否定され、抹殺されたのでした。
 しかし苦難の中で、信仰と従順を貫くことは、神の生命が注がれる契機となります。「三日の後によみがえられなければ」とはそのことです。このようにして、主イエスは真の人が辿るべき生命の法則を示します。

・下がれサタン
 しかしペテロは「イエスを・・・いさめ始めた」とあります。彼は信仰告白後も、キリストと御業について不鮮明で、世の人生観に支配されていました。世の人生観にとらわれる者は、神の御心よりも人間的願望を大切にしてしまうのです。  
 「下がれ。サタン。」と主イエスはペテロを厳しく叱責します。弟子である者が、心に銘記すべきことだからです。人間的分別と優しさのようでありながら、その心はサタンの下にあり、神に敵対する者となっているです。

・自分の十字架を負う・・・生命の原則
 「自分を捨て、自分の十字架を負い」と主イエスは語ります。主イエスの地上の生涯は贖いのための生涯であると同時に、信仰者の生き方の模範となるためでした。世の流れに抗してのみ、イエスの道を歩むことが可能となるのです。誤りの否認によってのみ正しさが貫かれます。
 また神が祝福する生命とは世と人間の虚偽の中には生じません。十字架の法則に歩む者だけが復活の生命を得るのです。また同時に、歴史の真髄も十字架の法則に従った人々によってうち立てられているです。

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