09/09/20 主の聖徒たちの死は尊い  詩116:15


・主の聖徒たち
 「聖徒」とは「ヘセドの民」という意味です。神の恵み、誠実、愛の約束を心から信じ、自分でも神を愛して生きる人々のことです。旧新約の信仰者たちは、皆、この信仰姿勢を持っていました。
 「私は主を愛する。主は・・・私の願いを聞いて下さる」とは聖徒たちの基本的な告白です。聖徒たちはその通りに生涯、主の恵みと愛を体験してきました。たとい絶体絶命の時でも、主が救って下さり、魂を救い、悲しみを取り除き、実際の問題も見事に解決して下さったことを体験しています。

・主の聖徒たちの死は尊い
 「聖徒たちの死は主の目に尊い」とあります。聖徒たちも地上の生涯を終えることがあり、その際には、本人も周囲の人々も、主イエスをいよいよ信じて、告白して、死の間際まで切なる願いをします。
 その死は、肉の目には空しく見えますが、主は「尊い」とご覧になります。それも主の恵みと愛の所以です。地上の生涯に恵みを与えられた方は、死という危機に際してこそ、完全なる恵みと愛の眼差しを「聖徒の死」に向けられるのです。地上の死を迎えた「聖徒たち」は主の目には何よりも尊い宝石のように輝いて映っているのです。

・私たちの「聖徒たち」
 私たちの「聖徒たち」も地上の生涯において主の恵みを信じ、また自分でも誠意を持って従っていました。死の間際まで、信仰を貫き、しかも切に祈りと願いを捧げたのです。
 主は、その祈りを忘れておられません。むしろ「尊い」とご覧になり、永遠に心に刻んでおられます。そして来るべき日に、新しいからだに復活させるのです。復活の体もまた、イエスに似た「尊い」ものとなるのです。
 

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