2014/2/23 イザヤ63:8~16 神を渇き求める



・神の愛
 神と民の関係は、父と子の関係です。神は民を愛するのですが、その愛は深く、「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ 」また「ご自身の使いが彼らを救った 」とあります。天に留まっておられるだけではなく、ご自分の霊と使いによって救いの御業をなさったのです。

・反逆と痛み
 「しかし、彼らは逆らい、主の聖なる御霊を痛ませたので、主は彼らの敵となり 」とあります。人間の罪深さは、どうしようもないほどです。アダム以来、神に反逆し続けています。旧約の民も神の愛を受けながら、絶えず反逆してきました。
 その結果「主の聖なる御霊を痛ませ」、御霊は彼らを離れたのです。さらには神は彼らに敵対することになりました。神は民を愛しておられるのに、民が神に反逆するゆえに、聖なる御霊は彼らの中に留まることができなくなったのです。

・神を渇き求める
 そこでイザヤは、かつて神の御霊が民の中に臨在して、力と平安を与えて時代を思い起こします。それから変わらない神の愛を信じて、再び御霊が民の中に注がれることを祈り求めています。
 私たちも神の愛を信じ、御霊に溢れるばかり満たされて、祝福されるように祈るべきです。

2014/2/16 イザヤ61:1~3 良い知らせ…福音



・主のしもべと福音宣教
 イザヤ書には「主のしもべ」が繰り返し登場します。「神の霊を受けた王」、「苦難のしもべ」などです。また彼は主の霊によって「良い知らせ…福音」を宣べ伝える者です。この「しもべ」はイエス…キリストであって、ルカ4章においてイザヤ書の預言がご自分の到来によって成就したことを宣言しています。

・福音と救い
 「しもべ」の役割は「貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやす」ことです。それは奇跡によってパンを与えたり、肉体的な癒やしを与えるということではなく、「良い知らせ…福音」による霊的な満たしと癒やしです。「良い知らせ…福音」は人間の目にはチッポケに見えますが、ちょうど種のように聞いて受け入れる人々の心において神の生命を生じさせ、生かします。その内側の変化がやがて外に現れます。

・福音と神の国
 また「しもべ」は神の国の到来を告げます。神の国は、世の終わりに名実共に実現するのですが、「良い知らせ…福音」と共に、先駆けて「今の時」に突入してくるのです。
 教会は真っ先に、神の国突入の現場となりますが、それは福音を心から受け入れることによって実現するのです。

2014/2/9 イザヤ60:1~7 光を放て



・起きよ
 旧約の長い時代、神の民は罪故に砕かれ倒れたような状態でした。しかしキリスト到来によって、内外の環境が180度転換します。内においては罪が完全に聖められ、外においては恵みと平和の環境が整えられることになるのです。ただ必要なことは、神の民が神の促しに応答して「起きる」ことです。

・光を放て
 光は明かりであり、エネルギーであり、生命だからです。それは目に見える世界においてだけ必要なのではなく、霊の世界でも必要欠くべからざるものです。
 旧約時代、神の民には真の光は与えられていませんでした。しかし、キリスト到来によって、神とキリストの御霊が、その光となっています。またその光を受けた神の民は、キリスト教会として成人するのです。新しい神の民は、霊の目を見開いて、「光を放つ」賜物と使命を受けています。

・闇の中で光る
 「やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている」とあるように、世は罪と死の支配に置かれ、心のなかは闇に覆われています。また道にさまよい、生命を枯渇させ、絶望の中に置かれています。
 先に光を受けた私たちは、この世界で「起きて、光を放つ」賜物と使命を委ねられています。恵みと救いのみ言葉に応答して、目覚め、感謝し、賛美し、礼拝し、証しすることが、「世の光」となるのです。

2014/2/2 イザヤ58:6~12 真の断食



・真の断食
 イザヤの時代の人々は神に受け入れられ祝福を得るために断食をしました。しかしその断食は形式的に荒布を着、顔をやつし、食事を断つというだけでした。
 しかしイザヤは真の断食とは上辺だけを繕うのではなく、心からの悔い改めと正義の実であると宣告します。

・悪を断ち切る
 当時の支配階級と有力者たちは全く悪に染まっていました。賄賂や不正、弱者に対する暴虐は日常茶飯事でした。それでも宗教行事をこなせば、神が祝福してくれると錯覚していました。しかし神が望むことは「悪のきずなを解き…しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くこと」でした。また「飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ …」正義とあわれみの心をもって社会生活をすることです。
 「そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで…」とありますが、神は御心をなす時に、速やかに私たちを祝福してくれます。

・私たちの断食
 私たちの社会でも様々な宗教があり、断食や苦行、また儀式を重んじます。しかし神が祝福し、また人々が望んでいる宗教は、預言のように、真の断食をなすことです。それは神の前に心砕かれ、さらに社会生活の中で、その実を確実に現すことです。そのようにして、神の祝福をいただき、また、他の宗教と差別化ができるのです。  

2014・1・26 イザヤ57:15~21 神の聖域



・神の聖域
 神は「いと高く…その名を聖ととなえられる方」です。何者よりも崇高で、一切の汚れから隔絶されていることを意味します。
 この神の聖域には人間は近づくことはできません。もし汚れたままで近づこうとするならば、たちどころに滅ぼされます。

・地上におかれた仮の聖域
 しかし、神はその聖域のひな形を幕屋という形で地上に設けたことがありました。それによって「聖」とはどういうことかを知らせたのです。つまり、高ぶる者と汚れたまま近づく者はたちどころに滅ぼされましたが、神が示す手順で近づく者たちは贖いを受け、新しく生かされたのです。
・心砕かれた人の中の聖域
 しかしながら、預言者イザヤは、もう1つの真の聖域について預言します。それは「心砕かれて,へりくだった人 」です。それは、神の前に自分の罪深さを覚えて心砕かれ、自らの虚しさと小ささを覚えている人のことです。神はそのような人々の心に、臨在し、聖域とするのです。そして、その人の罪を聖め、新しく生かします。

・キリスト信仰と聖域
  また私たちが心砕かれ、へりくる最善の手段は、イエス・キリストを心から信じることです。彼自身が「わたしが道であり、真理であり、生命なのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」ヨハネ14:6 と宣言して、招いているとおりです。

2014・1・19 イザヤ55:6~13 主に帰れ



・主を求めよ
 イエス・キリストの贖いによって、今のときは、神が私たちの元にに福音を通して近づいています。私たちは福音が語られているときに、「主を求める」べきです。また、神と出会うためには、顔と顔を合わせるように、私たちの方でも神に、しっかりと顔を向けなければなりません。

・主に帰れ
 私たちが「主に会う」ためには悔い改めという手段によります。それは「おのれの道を捨て」「おのれのはかりごとを捨て去り」「主に帰る」という3段階が示されています。
 私たちはアダムの堕落以来、歩む道と考えは悪に傾き、自己中心に向かいます。それらを捨てて全人格的に福音を通して語りかける神に帰るのです。

・神の赦し
 「そうすれば、主はあわれんでくださる・・・豊かに赦してくださる」とあります。心痛めるほどのあわれみの心で、私たちをあわれむのです。単に赦すだけではなく、多くの祝福を与えるということです。さながら放蕩息子を迎えた父のようです。

・天が地よりも高いように
 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」  
 私たちは、戸外に出て冬の空、早春の青空を見上げた時に、改めてその聖さ高さ豊かさに圧倒されます。ちょうどそのように、自分の道と考えに固執せず、福音において啓示されている神の世界に帰るべきです。

2014/1/12 イザヤ54:1~8 母なる教会



・不妊の女よ、喜び歌え
 「不妊の女」とは神の民のことです。彼らは旧約時代を通して、神のために何も生み出せなかったのです。しかしながら新しい時代が到来し「喜び歌え」「喜び・・・叫べ」「喜びの歌声を」と命令されています。

・母なる教会
 その理由は53章で啓示されているキリストの贖いの所以です。その結果、状況が180度転換し、異邦人も神の民として加えられることになります。また神は「永遠に変わらない愛をもって」あわれんでくださるからです。そこは新たに形成される神の民、すなわち万民の母なる教会です。

・教会の拡大
 「あなたの天幕の場所を広げ、・・・綱を長くし、鉄の杭を強固にせよ
 教会は祝福を受けているので、自ら許容力を大きく拡大するように命じられています。それはまず信仰と心の許容と考え方の拡大からなさなければなりません。

・私たちの教会
 私たちは21世紀の日本で、キリストの教会を形成しています。ここでもイザヤ書の預言は生きて働いています。
 つまり主イエス・キリストの十字架の贖いを通して、神の祝福と愛が満ちています。神に対する喜びの歌声が満ちています。そして神が「子どもたち」を呼び集めるので、私たちも心を開いて招き入れるのです。