2022/12/25 ルカ福音書2:8~20  天に栄光 地に平和

 ・喜びの知らせと主の栄光
 キリスト誕生の知らせは、主の使いによって野の羊飼いたちに伝えられました。彼らが夜番で羊の群れを見守っていた時「主の栄光が回りを照らした」とあります。
 「主の栄光」とは、神の圧倒的に優れた存在と御性質です。それが降誕の「喜びの知らせ」を携える御使いととにも地上で輝いたのです。

・天に栄光 地に平和
「いと高き所に、栄光が」「地の上に、平和が」 とは、御使いと共に現れた天の軍勢の賛美です。これらもまた御子の誕生によって、天からもたらされた祝福とその輝きです。御子は神の栄光をさらに輝かし、地上において永遠の平和を実現させるのです。

・私たちの内なる栄光と平和
 羊飼いたちは、御使いらと共に現れた天の輝きに恐れ驚きましたが、なおそれらは彼らの外側の現象でした。それが心のうちに刻まれたのは、御告げに従って御子キリストを捜し出し、受け入れたときです。そのとき彼らも、御使いたちのように「神をあがめ、賛美した」のです。

 私たちの前にも、同じ「喜びの知らせ」が提供されています。それが外側にあるだけなら、何の意味もありません。それを心から信じて、御子キリストに出会うとき、私たちのうちにも天の栄光、地の平和」が訪れるのです。

2022/12/18 ルカ福音書1:46~55 マリヤの讃歌

・マリヤの讃歌
 マリヤはエリザベツと出会ったときに、聖霊に満たされて神を賛美しています。いわゆるマリヤの讃歌です。彼女は「魂は主をあがめ…霊は…神を喜びたたえ」と全人的に神をたたえています。
 ルッターは、人間の体を神殿にたとえ、魂は聖所、霊は至聖所と語りました。マリヤは、その一切を神賛美で満たされている状態です。

・大きなこと
 その理由について「主はこの卑しいはしために目を留めてくださったから」と証ししています。つまり「力ある方が、私に大きなことを」とは、キリスト受胎のことであることを告白しています。神が人の胎に宿るという奇跡は、地上の誰も体験することがない栄誉であり、あわれみの極致ですから、マリヤの霊と魂と体全体が賛美に満たされるのは無理もありません。

・主のあわれみは代々に
 マリヤは、自分のあわれみの体験は「主を恐れかしこむ者に、代々に及びます」と証ししています。つまり、キリスト誕生とともに神の国が出現し、世とは真逆の正義と審判が実現するということです。
 私たちはマリヤのように胎にキリストを宿すことはないのですが、キリストの霊が宿る神の宮とされています。この霊的事実を覚え、マリヤとともに霊と魂と体全体をもって、神を賛美しましょう。
 

2022/12/11 イザヤ9:1~7 ひとりのみどりご

・闇の中の光
 「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。」
 イザヤはBC700年ころの悲惨な時代に、未来のキリスト預言をしています。「やみ」とは、戦争、破壊、罪、死、そして悲惨と絶望が支配している時代のことです。いつの時代にも、「やみ」を「やみ」として知る者たちに「光」が照るのです。「光」とは救いであり、それに伴う二重、三重の「喜び」です。

・ひとりのみどりご
 「ひとりのみどりごが、私たちのために生れる。」
 イザヤの預言の中心は「ひとりのみどりご」です。アダム以来の罪と死の支配から人間を救い出すキリストのことです。彼は、世の誰か権力者、有力者のためのではなく、貧しい「私たちのため」の救済者です。
・不思議な助言者、力ある神…
「その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」」
 彼は赤ちゃんであり、ただの人間の姿を持って生まれますが、その名は想像を遥かに超えたものです。「不思議な助言者」とは、不思議なほどにすばらしい道を示す方ということです。「力ある神」とは、神としての無限の力で一切の敵からの救済者となるということ、「永遠の父」とは、永遠に信頼できる方ということ、「平和の君」とは、神と人、人と人の平和を司る主権者という意味です。
 私たちの肉の目には、いつでも「みどりご」は、小さく、無力な存在としてしか映りません。ただ信仰の目によってのみ、彼が宿す「大きな光」を見、「私たちのため」の救い主として「喜び」の中に入れられるのです。
 

2022/12/04 Ⅰコリント3:10~17 聖なる神殿

 ・キリストが土台
 パウロは教会を建物に例え、自分が「土台を据えた」と語っています。それは使徒としての使命かつ権利でした。その「その土台とはイエス・キリスト」とありますが、それは福音の真理と言い換えることができます。
「そして、他の人がその上に家を建て」とあります。 土台があっても、その上に家が自動的にたつのではなく、各時代に働き人らの説教と牧会により、また教会メンバーの奉仕によって目に見える形で建てられていくのです。

・建物と材質
 「この土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら」とあります。「金、銀、宝石」とは、神の知恵と御霊に属する人たちが用いる尊い材質です。「木、草、わら」は人間の知恵が混在した建て方、肉に属する人たちが用いた材質です。それらは人の目には、区別が付きませんが、神の審判の「日」に火の試練によって顕わにされます。

・聖なる神殿
「あなたがたは神の神殿…御霊が…宿って」とあります。旧約時代はエルサレムに神殿があり、そこに神の臨在があるとされていました。しかし旧約時代はすべて雛形で、本体は新約時代に顕わにされました。ただ教会のメンバーには、聖なる神の神殿との自覚がない場合が多いので、警告を与えているのです。
 私たちの教会もまた、聖なる神の神殿としてこの地に建てられています。すでに据えられている土台の上に、恐れと愛をもって、良い材質の教会を建てていきましょう。