2019/3/24 使徒の働き25:1~12 脱出の道


・新総督フェストと法廷
 ペリクスの後に、フェストが新総督として就任します。ユダヤ人たちは、早速、掛け合ってエルサレムでパウロの裁判をするように請求し、何とかしてパウロをどこかで殺そうとします。しかし、彼は総督官邸があるカイザリヤで裁判するように申し渡します。

・カイザルに上告
 カイザリヤで公判が始まると、早速、ユダヤ人たちは様々な罪状をねつ造してパウロを訴えます。それでもパウロにはまったく、ユダヤ人の法律に抵触する罪は見いだされませんでした。
 しかしフェストはユダヤ人の歓心を買うために、次はエルサレムで裁判を行うことを提案します。それに対してパウロは「私はカイザルに上訴」と申し出ました。フェストもローマ市民であるパウロの上告を認めざるをえず「あなたはカイザルに上訴したのだから、カイザルのもとへ行きなさい」と宣言しました。

・脱出の道
 ユダヤの地にやって来てからパウロは試練の連続で、かつユダヤ人暗殺団に命を狙われ続けます。しかもそれが2年も続きました。周囲の状況が暗く閉ざされているように見えました。しかし神は、かえって試練の中で、最善の道を備え、ちょうど良い時に、ローマ行きを実現させてくださったのです。
 Ⅰコリント10:13に次のようにあるとおりです。「神は真実な方ですから、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」

2019/3/17 使徒の働き24:1~16、24~27 キリスト者と良心


・弁護士テルトロとパウロ
 ローマ総督官邸において、大祭司アナニヤはテルトロという弁護士を雇ってパウロを告訴をします。彼は巧みな演説家でパウロが「ペストのような存在」で「ナザレ人という一派の首領で」あると非難します。
 それに対してパウロは、キリスト教の教えこそ旧約聖書を受け継ぐ正統な信仰であって何ら非難されるところはないと弁明します。また最後の審判について語り「そのために…責められることがない良心を保つように最善を尽くしていますと証しします。そこに彼の真実な人柄がにじみ出ています。

・総督ペリクスとパウロ
 裁判の5日後に、総督ペリクスと妻ドルシラに対してパウロは証しする機会が与えられます。この時、パウロは「正義と節制とやがて来る審判とを論じ」ました。それがパウロの信仰であり、生きる姿勢だったからです。ところがペリクスはその言葉に恐れを感じて、パウロを退けます。良心を痛めることも、悔い改めることをせず、世の楽しみと欲を優先したからでした。

・キリスト者と良心
 パウロの信仰姿勢は、私たちキリスト者全員にも当てはまることです。ローマ2:16に「私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをさばかれる日に、行なわれるのです とあります。ここでも私たちキリスト者にとって「正しい良心」が如何に大切であるかが明確に示されています。

2019/3/10 使徒の働き2:1~~11 虎口に立つ


・虎口に立つ
 騒動の後、使徒パウロはユダヤ議会で信仰の弁明をする機会が与えられました。彼は虎口に立たされることになったのです。そこで彼は、その場から逃げようとするのではく、しっかりと立って自分の証をし、信仰の根本について大胆に述べました。「全くきよい良心をもって、神の前に生活し」とあります。「きよい良心」は宗教の根本ですが、キリスト者だけが、その良心をもって信仰生活と市民生活をなすことができることを示します。

・復活の望み…希望
 「死者の復活という望み 」いう点が、パウロが弁明した第2点です。当時のユダヤ教には2派があり、1つのサドカイ派は復活を否定、もう1つのパリサイ派は復活を信じていましたが、その信仰は曖昧でした。しかしキリスト教ではイエス・キリストを信じる者は、その復活と共に新しく復活する希望が与えられるのです。人間には、死者の復活の教理以外に、根本的な希望は見いだすことができません。最大の敵は死だからです。

・ローマでも
 「エルサレムで…あかししたように、ローマでも証し」。パウロはエルサレムで議会という虎口に立たされましたが、逃げることがなくしっかりと立ったために、虎口を脱することができました。ローマでも危機に直面することは明らかです。そこでも彼は大胆に証しする使命と展望が与えられたのです。

2019/3/3 使徒の働き22:1~21 天からの光


・パウロの証 
 暴動の中、千人隊長とローマ兵に救い出された使徒パウロは、ユダヤ人群衆の前で、証の機会が与えられます。そこで、まずパウロは、以前の自分について証しします。つまり彼はタルソ生まれでしたが、小さい時分からエルサレムで熱心なユダヤ教徒として教育されて育ったことを証しします。その熱心さは、キリスト者を迫害し、殺害にも加担した程でした。

・天からの光
 彼がダマスコに、キリスト者捕縛のために向かう途中「突然、天からまばゆい光が私の回りを照らした」という体験をします。また光の中から「サウロ、サウロ」と彼を呼ぶ声を聞き、それがナザレ人イエスの声だと知ります。それは外側から捕らえられたような体験でした。その体験が彼の人生を180度転換させます。

・新しい召命
 キリストとであった後、パウロは光の輝きのため目が見えなくなり、従者にひかれてダマスコに入りました。そこでアナニヤというキリスト者を通して、キリストからの召命の言葉を受けます。それは異邦人宣教で、その召命によって、彼自身も、彼の生涯も全く新しくされました。
 このパウロの改心体験と召命は、形は違いますが、私たちも全く同じです。私たちが救われたのも、次に私たちがキリストの証人となるためです。