2018/11/25 ミカ1:1~9 ミカのみた幻


・預言者ミカの幻
 預言者ミカはイザヤと同時代の人物で、彼もまたキリスト到来の預言をしています。まず1章では「サマリヤとエルサレムについて見た幻」 を示しています。サマリヤとは北イスラエル王国の首都、エルサレムは南ユダ王国の首都です。「幻」とは、預言者の魂に深く焼き付けられた神の啓示です。

・神の裁きの幻
 「神である主は、あなたがたのうちで証人となり」とあります。神ご自身が直々、人々の罪を裁きによって明らかにするということです。降りて来て、地の高い所を踏まれる 」とあります。次元の異なる存在者である神が、地上に降り立つという凄まじい幻を示しています。
 「これはみな、ヤコブのそむきの罪のため」と北イスラエルと南ユダ王国の罪の深刻さを示します。それは偶像崇拝のことですが、神の目の前では、深刻な罪、姦淫の罪とまったく同じと見做されていたのです。

・ 預言者の嘆き
このために、わたしは嘆き、泣きわめき、はだしで、裸で歩こう」とあります。預言者は神の側に立つ人物ですが、同時に人間の側に立っていることがよく分かります。人間の罪に対する神の裁きという幻が心に焼き付けられたときに、人間のために「 嘆き、泣きわめ」いたのです。それは仲介者としての姿でした。そして神は、仲介者として嘆き悲しむミカに対して、キリスト預言を鮮やかに示すことになります。
 私たちも、クリスマスシーズンに預言者の見た幻を覚えて心を痛め、ひとりでも多くの人がキリストの救いに預かるように祈りましょう。

2018/11/11 子ども合同礼拝 士師記7:1~26 ギデオンと300人


■ミデヤンとアマレクと東の民族
 カナンの地に定住したイスラエル人は、しばしば偶像崇拝をしたので、主なる神は罰として異民族の圧政に委ねました。ミデヤン人もそのような異民族の一つでした。彼らはラクダに乗って大勢で来襲し、さらにアマレクと東の諸民族が加わりました。その数は約13万5千人でした。
■ギデオンと300
 イスラエル人が叫び求めたときに神は救い手ギデオンを奮い立たせました。ギデオンがイスラエルの諸族を呼び集めたときに32千人が終結しました。その人数でもミデヤンに立ち向かうことはできないのですが,神は「多すぎる」と語り、「恐れおののく者」22千人は立ち去りました。残ったのはたった1万人でしたが、神は「まだ多すぎる」ということで、さらに民を選別します。
 水場に導き「犬のように水を飲んだ者」あるいは「ひざをついて飲んだ者」は除外されました。ただ「口に手を当てて水を飲んだ者たち」300人だけが選ばれました。彼らは困難を意識しながらも信仰によって主なる神とギデオンに従った者たちです。
 神は大勢の軍勢に対して,ごく少数の信仰の勇者によって勝利を獲得する方なのです。
■勝利
 彼らはギデオンの指図に忠実かつ即座に従って夜襲をかけます。しかも彼らの武器は「角笛と壺と松明」だけでした。角笛を吹き鳴らし、壺を割って松明を輝かせ,「主の剣、ギデオンの剣」と一斉に叫んだとき、ミデヤン軍は同士打ちをし、やがて敗走したのです。彼らは烏合の衆にすぎなかったのです。

2018/11/4 使徒の働き18:18~28 伝道者アポロ


・伝道者アポロ
 パウロが第2次伝道旅行を終えてエペソを離れていたときに、アポロという伝道者がエペソに来ました。彼はアレキサンドリア生まれであり、直接、十二使徒やパウロと交わりのあるキリスト者ではありませんでした。しかし雄弁で聖書に通じており、イエスのことを正確に語っていました。彼は新しい時代の伝道者であったと言えます。

・アポロと兄弟たち
 ただ(洗礼者)ヨハネのバプテスマしか知らなかった 」とあります。洗礼を施すのですが、ただ悔い改めと名目上の聖めだけで、キリストの業と関係づけられていないバプテスマでした。プリスキラとアクラはそのことに気づき、「神の道をもっと正確に…説明した」とあります。彼を否定するのではなく、彼の賜物と召命を尊重しながら、教えたのです。若い伝道者に対する良き信徒の態度です。
 またアポロがアカヤに行く意向を示したときにも、兄弟たちは彼を励まし、先方に紹介状を書いて送り出しています。

・働き人について
 この箇所は教会の働き人と信徒の関係について示唆を与えます。特にプリスキラとアクラは先にパウロに協力しながら、さらに後に来た若い伝道者アポロを退けることなく、彼の内に神の賜物と召命を認めて協力しています。目先の人間を見て判断するのではなく、背後で働いておられる神を覚えていたからです。それは「成長させたのは神です(Ⅰコリ3:6)という霊的な洞察と態度です。

2018/10/28 使徒の働き18:1~17 コリント宣教

・コリントへ
 コリントの町は、ペロポネソス半島の付け根にあり、交通の要所、かつアカヤ州の州都で、多くの人口を持つ栄えた町でした。パウロはそこでアクラとプリスキラというユダヤ人クリスチャン夫妻と出会います。彼らは同業者であったため、パウロは彼らの仕事を手伝い、彼らはパウロの宣教活動の手助けをします。孤立していたパウロは、彼らによって励まされて宣教活動を続けることができました。

・コリント宣教
 コリントの町でも、パウロはユダヤ人会堂で福音宣教をしました。しかし彼らは福音を拒んだので、「今から私は異邦人のほうに行く」と宣言して、別の場所で異邦人に福音を語りました。「多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた」とあります。そのことは、すでに旧約聖書で預言されていたことでしたが、パウロにとっては、驚きの体験だったと思います。

・「わたしの民がたくさんいる」
 「ある夜、主は幻によって…「恐れないで、語り続けなさい。…この町にはわたしの民がたくさんいるから」と語ります。パウロの心に一抹の不安と恐れがあったようです。しかしこのみ言葉をとおして、福音宣教は人間的な思いでなすのではなく、主イエスの命令であり、厳かな務めであることを思い知らされました。 
 私たちの町にも「主イエスの民がたくさんいる」ことは、確かです.私たちも恐れや不信仰によって黙ることなく、信仰と厳かさを覚えて、福音宣教を続けることが大切です。