2018/9/23 使徒の働き16:19~34 ピリピ…看守の改心


・投獄
 ピリピの町で、パウロとシラスは偽りの告発によって、鞭打たれ、投獄されました。その苦難も、彼らにとってはキリストの苦しみを共にする霊的体験となっていました。そこで、本来なら、精神的にどん底に陥っている時、彼らの心はけっして揺るぐことはありませんでした。「真夜中ごろ…神に祈りつつ賛美の歌を歌って」と記されているとおりです。

・大地震
 「ところが突然、大地震が起こって」とあります。マケドニヤ地方は古来より地震地帯でしたから、それは自然現象であったのでしょう。しかし同時に獄舎の「とびらが全部あいて、みなの鎖がとけてしまった」とあるのは、明らかに奇跡であり、救済です。
 この時、看守が見ると牢のとびらがあいていました。そこで彼は囚人が逃亡したとしたと思いこみ、責任を取って自害しようとしました。大地震は、彼にとって安泰が絶望となり、生死の大変動となってしまったのです。地上の人間存在の危うさが見事に描写されています。

・看守の改心
 パウロは看守に叫んで、自害をとめます。そして絶望のうちから救済を求める看守に対して次のように語ります。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」この言葉は、今も昔も、砂上の楼閣に生きる人間にとって、真実の約束です。

2018/9/17 敬老の招待礼拝 ヨエル2:28~29 老人は夢を見る


・「老人は夢を見る」
 ヨエル書は紀元前8世紀の預言書と言われますが、そこに「老人は夢を見る」という預言があります。その時代は国が弱体化した時代で、老人は、未来について決して良い夢は見ることができませんでした。しかしヨエルは将来、神の霊と共に幸いな時代が到来し、老人も良い夢をみることができると預言したのです。

・神の霊が与える「老人の夢」
 それでは神の霊による「老人の夢」とは、どのような夢でしょうか。第1にそれは、将来についても良い夢を見るということです。父祖アブラハムが85才の時に「空の星」の幻を与えられて、将来の反映が示されたようにです。
 第2には神が共にいてくださり、平安を与える夢です。父祖ヤコブが旅の途上、夢を見たときに、「見よ。わたしはあなたとともにあり、…決してあなたを捨てない」(28:15)と神は約束を与えたようにです。

・神が共に
 ある映画監督が自分の夢を映画にしました。そこで描かれているのは、神のなしの夢の世界です。狐の霊、木の霊、雪女、鬼などが出て来ます。最後は、幸いな世界が描かれていますが、どこか寂しい夢です。
 私たちは、そのような死霊の世界から解放され、今や、キリストによって生ける神の霊を受けています。そして、その霊に導かれた生命と平安の世界が常に、提供されています。

2018/9/9 使徒の働き16:1~15 マケドニヤの叫び


・第二次伝道旅行
 パウロはバルナバとはたもとを分かち、シラスと共に、先に開拓したガラテヤの諸教会を巡察するため、また会議決定事項を伝えるために、出かけます。途中、ルステラで若者テモテも同行します。さらにはルカ自身も同行することになったようです。新しい伝道旅行の仲間たちです。自然、宣教の新しい導きを求めました。

・マケドニヤの叫び
 彼らはガラテヤ州諸都市からさらに先の地方に宣教を試みています。しかし「アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられ」、さらにビテニヤ地方に行こうとしたときに「イエスの御霊がそれをお許しにならなかった」とあります。
 しかしトロアスにいた時、パウロは「ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願する 夢を見ました。パウロはそれは神の導きと信じて、早速、マケドニヤに船で渡ることにしました。福音が始めてヨーロッパ大陸に伝わった瞬間です。

・ピリピで
 彼らがはじめに宣教始めたのはピリピでした。そこはローマ植民都市で特権を持つ町でした。ユダヤ人は少なく、ただ城外に祈り場があるだけでした。そこでパウロは福音を語り始めたのですが、主の霊はルデヤという異邦人女性の心を開いて福音を聞いて、信じるように導かれました。主の御霊が使徒たちを導き、同じ主の御霊が魂を捕らえてくださったのです。

2018/9/2 使徒の働き15:22~35 信仰の自由と愛


・決定事項
 律法問題を取り扱ったエルサレム会議の決定は、パウロとバルナバだけではなく、エルサレム教会の二人の指導者も派遣されて、アンテオケをはじめとした異邦人教会に伝えられました。すなわち「どんな重荷も負わせないことを決めました。29すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上。」

・信仰の自由
 決議内容の1つは、信仰の自由の確認です。キリストを信じた者は信仰だけによって義とされており、律法の一切の義務からは自由になったと言うことです。彼らは何ら重荷を負う必要も、律法の業について悩む必要もないのです。後に、宗教改革者ルッターは「キリスト者はすべての上に立つ王である」とまで言い切りました。

・隣人に対する愛
 決議事項には3つのことが禁止されています。1つは「偶像に供えた物」、もう一つは「絞め殺した物と血とを避ける」ことです。それは自分自身が偶像礼拝に関わる危険があることと同時に、何よりもユダヤ人キリスト者に対する愛の配慮のためでした。また神の民として汚れを負うことになる「不品行」はいつの時代でも避けるべきこととされました。