2016/5/8 イザヤ49:15 母の愛 神の愛



・母の愛
女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。」
 「女」とは、母親のことです。聖書でも地上に見られる愛で最たるものは母の愛であることを認めています。実際に、すべての子どもたちは、とりわけ母の愛に育てられ、それを慕い、支えにして成長します。
 しかしながら、母の愛は、実際以上に大きく見られ、それが母親たちのプレッシャーになっているようです。

・たとい母が捨てても
たとい、女たちが忘れても…」
 母親が子どものことを忘れるということはないのですが、世の現実は厳しく、忘れなくとも、子どもを助けることができないということが多々あります。特に子どもが成長するに従って、そういう場合が多くなります。母親は、神のように全能者ではないからです。このような母の愛の限界を母親自身も、周囲の人々も覚えておく必要があるようです。
  
・母に優先する神の愛
「…このわたしはあなたを忘れない。」
 「このわたし」とは、神さまご自身のことです。神様は「母の胎内にいる時から形造った」方で母親に優先する方です。また全能者として唯一の「助ける主 です。
 ですから、母も子どもたちも、母に優先して神に求め、神の愛に頼ることが大切なのです。そのようにして、子どもたちは、双方に対する依存から逃れ、真の意味で成長できるのです。

2016/5/1 創世記12:1~9 アブラムの召命



・アブラムの召命
 神の救いの本論は創世記12章のアブラムの召命から始まります。「主は…仰せられた」とあるように、救いのイニシャティブは主なる神であり、召命の言葉で始まります。
 召命の言葉は「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい」です。 アブラムの生まれ故郷はメソポタミヤのウルという町でしたが、まったく見ず知らぬ土地に行くようにとの召命でした。

・祝福の約束
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し…」と祝福の言葉が伴っています。神の召命は冷たく不毛な命令ではなく、常に祝福が伴っています。「大いなる国民」とは子孫が増えて一つの国民となるということです。もう一つの約束は「地上のすべての民族は、あなたによって祝福となる」 でした。それは彼の子孫キリストによって、救いが全民族に及ぶというさらにすぐれた約束です。

・信仰と従順
「アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた」とあります。不安と恐れがあったのは当然ですが、アブラムはただ主なる神を信じて従順に従ったのです。
彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ(ヤコブ2:22)とあるとおりです。アブラムの信仰姿勢は神の民の模範です。