2015/11/22 結婚の日 創世記24:62~67 イサクとリベカ



・結婚の日に
 昨年、結婚の日礼拝でアダムとエバの物語を取り上げました。今回は、イサクとリベカの物語です。今から約4000年の昔の出来事ですが、聖書の物語は現代にも通じる結婚の奥義を示しています。

・イサクとリベカの出会い
 創世記24章はイサクのお嫁さん捜しです。アブラハムの僕が遠い故郷に出かけて、リベカを捜し当てます。彼女は僕の話を聞いて、故郷と家族から離れてイサクがいる遙か南の地方に赴きます。
 彼女らがネゲブ地方にたどり着いたときに「イサクは夕暮れ近く、野に散歩に出かけた」と記されています。その姿は寂しげですが、しかし、彼はそこで神との関係と個を確立していました。それはロンリネスではなく、ソリチュードの姿です。
 この時にリベカもまた自分の判断で故郷を離れた女性でしたから、神との関係で個を確立していた女性であったと言えます。

・結婚の奥義と神秘…ベール
遠くからでしたが、彼らは互いをそれとして見て、また認めています。「そこでリベカはベールを取って身をおおった」とあります。そのベールは彼女が神の選んだ女性であることを示す神秘のベールであり、またイサクが神が選んだ男性であることを覚えるベールと言えます。そのような明確な信仰と召命感によって二人は、結婚の契りを結んだのです。

2015/11/08 子どもとの合同礼拝 「エステルと祈りの手」 エステル記5~10章 



 エステル記は、古代ペルシャ帝国の時代、エステルという女性が神の民を危機から救ったことを描いた物語です。
 前回は、エステルが王女となって王宮に入ったこと、その時にハマンという悪大臣によって神の民を滅ぼし尽くす命令が出されたことが書かれておりました。

エステルと祈りの手
 この危機の時に、エステルは次のように語り、切に祈りました。「私のために断食してください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も…同じように断食しましょう4:16
 神の存在と恵みが感じられないような時代でしたが、エステルと民の祈りは、確かに聞き届けられ、不思議に救済の業が起こってきます。

・救済
 エステルのアハシュエロス王に対する嘆願は聞き届けられ、ハマンの悪が暴かれて彼は自分で用意していた20mもの柱につるされて殺されます。
 他方、ハマンが憎んでいた善人モルデカイは栄誉を与えられます。彼はエステルの叔父でもあったことから帝国の総理大臣にまで任命されます。

2015/11/1 ヨハネ福音書16:13~24 イエスとの再会と喜び



・「しばらくすると…見なく」
 主イエスは弟子たちに対して「しばらくすると…わたしを見なくなります」と語ります。肉的な人間は肉眼で見ることで世界観を造ります。それは肉的だった弟子たちも同様で、目に見える姿と奇跡だけで心の中にイエス像を形成していました。
 しかしながら目に見える世界はイエス像であれ「しばらくすれば…見なくなる」のです。

・「…しばらくすると見る」
 「しかし、しばらくするとわたしを見ます」と続けて語ります。「しばらく」とは、まずは十字架と葬りの期間を意味しますが、それだけではなく弟子たちが感覚的にイエスを見失った苦しみの期間全体を意味します。しかしイエスを見失う苦難の時は「しばらく」にすぎません。かならずその後に「見る」ことになります。
 後の「見る」とは「霊的に見る」という意味で用いられています。つまり、御霊を通して、復活後のイエス、昇天後のイエスを見るということです。御霊はイエスについてだけではなく、イエスご自身を現すからです。

・悲しみが喜びに
 肉的な世界観はやがて破綻し、悲しみと絶望感をもたらします。ただ御霊を通して「霊的にイエスを見る」ことにより、弟子たちは飛躍的に成長を遂げるのです。その際に「しばらくすると」来る悲しみと痛みが、次に「しばらくすると]来る喜びのために準備期間となるのです。