2015/2/8 ヨハネ福音書12:20~26 一粒の麦



・栄光の時
 主イエスはギリシャ人が来たとき「栄光を受けるその時が来た」と語られました。「その時」とは、神が備えられた時で、旧約以来の預言されてきた十字架による贖いが成就する時を意味します。それによって、単にユダヤ人だけではなく、全世界の人々に救いと永遠の生命が提供されることが定められていました。

・一粒の麦
 「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければとあります。主イエスは、一粒の麦にたとえて、十字架の死の意味を示します。主イエスには、永遠の生命が宿されていましたが、地上の生命に固執している限り、他の人々には提供されることがありませんでした。ただ「地に落ちて死ぬ」ことをとおして、その生命は世の人々に分け与えられることになるのです。

・私たちの生命
 私たちがキリスト信仰者にも同じ原理が当てはまります。私たちには生まれながらの生命(プシュケー)を持っていますが、他方、キリスト信仰によって永遠の生命が与えられています。その二つが相剋したとき、私たちが地上の生命(プシュケー)に固執して神に従うことを拒むならば、それを失います。しかし、神に従うことを優先して、それを憎むならば、それを保ち、さらにはよりすぐれた永遠の生命(ゾエー)を獲得するのです。