2015/1/25 ヨハネ福音書12:1~18 ナルドの香油



・マリヤの奉仕
 過越の六日前、ベタニヤ村で晩餐会がありました。それは主イエスとみわざに対する感謝会のような場でした。そこで「マリヤは、非情に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。」とあります。

・ナルドの香油
 マリヤは主イエスの言葉と業から、イエスが神の子キリストであることを心から信じていました。さらに主イエスが贖い主として死ぬということを知らされておりました。そこで、葬りの準備として油を注いだのです。ナルドの香油は、高価で純粋な香油でしたが、それは主イエスのために用いるにふさわしいものでした。またナルドの香油は、マリヤ自身のキリスト信仰と献身の尊さと純粋さを現すものだったと言っていいのです。その両方が相まって、ナルドの香りは部屋一杯に満ちました。

・私たちの奉仕
 この物語は、私たちの奉仕についてヒントを与えます。奉仕は強制ではなく、私たちがキリストと救いの尊さを知った時に、自発的に献げるものです。「(キリストの愛の)広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する(エペソ3:14)ごとにに献げ尽くしていくのです。
 主イエスは、そのような信仰心と奉仕を喜んで、用いてくださいます。ピリピ2:13「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。」とあるとおりです。

2015/1/18 ヨハネ福音書11:47~57 イエス殺害計画



・ユダヤ議会
 主イエスが多くの奇跡をなし、信者が増えてきたとき、パリサイ人と祭司長らは対策を練るためにユダヤ議会を招集します。彼らの焦りは、イエスが中心となって独立運動が起こり、ローマ帝国の介入を招くことでした。彼らはイエスが神の子かどうかよりも、「土地と民族」を守ることを優先していました。

・イエス殺害計画
 この時に、大祭司カヤパは発言します。「ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だ」と。この悪の提案に対して全員が一致して、イエス殺害計画が明確になります。しかし、悪が優位を占めていくのではなく、神が介在しており、悪の知恵と意志と力をこえて、神の知恵を意志と力が、実現していくのです。

・一つに集めるため
散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられること 」とあります。神はイエスの死によって、神信仰を、ユダヤの枠を超えて、全世界に広げようとしていたと言うことです。旧来のユダヤ人の信仰は、エルサレムの神殿、ユダヤ民族という土地と血に限定されていました。しかしイエスの死によって、霊的礼拝が実現し、全世界の神の子たちも公然と礼拝することが可能となったのです。
 「神の子たちが1つに集められ」とありますが、現代の日本にいる私たちも、1つの神、1人のキリスト、一つの霊によって礼拝することが可能となっています。

2015/1/11 ヨハネ福音書11:47~57 ラザロの復活



・墓に来て
 「イエスは墓に来られた」とあります。墓は死の世界の象徴であり、その門です。主イエスは、死の世界に挑戦するようにしてラザロの墓に来ています。
 「死んだ人の姉妹マルタ」とは、彼女の心が死に支配されており、絶望感の中にあることを暗示させています。主イエスは、心に及ぼしている死の力に対しても挑戦しています。

・復活の主イエス
 主イエスは祈りの中で「あなたがわたしをお遣わしになり」父と1つであることを明らかにします。それによって、主イエスが父と同じように無から有を創造し、死者を復活させる方であることを示します。同時に、彼のことばが復活のことばであることも示しています。

・ラザロの復活
 「ラザロよ。出てきなさい。」と主イエスは大声で叫びました。その声は墓の中に安置されていたラザロに届く音量でしたが、同時に霊的にも深く響き渡ることばでした。そして、墓の中で死の眠りにあったラザロに届き、彼の魂と肉体をを死の眠りから目覚めさせます。「死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出て来た 」とあります。この時にラザロとともに周囲にいた人々の心も死の支配から解放されることになります。

・私たちの復活
 今の時代も、主イエスはみことばと共に私たちの元に来て、私たちの心を死の支配から解放しておられるのです。