・生まれつきの盲人
道の途中、弟子たちは、生まれつきの盲人を見たときに、その災いの原因は何かについて、主イエスに尋ねています。当時は、誰かの罪の結果、現在の災いや不幸が起こっていると考えられていました。この因果応報の考えは、私たちの社会でも根強く存在し、人を責め、自分を責めて、不幸をさらに深める結果になっています。
・神の業が現れるため
「神のわざがこの人に現われるため」とは、主イエスの考え方です。神は、不幸や災いを契機として、その人を恵みの対象として覚えられ、その人に恵みの業を現されるのです。確かに、恵みの神に対する信仰の目を開けば、それは事実で、すべての不幸をプラス思考で捕らえていいことが分かります。
・キリストの光のもとで
私たちキリスト者は、この神の業が自分自身に現されることを信じて生きる者として、またこの神の業を周囲の人々に証するように召されています。
そのためには、キリストという神の光に対して、心の目を開き、強い信仰を持って歩むことが大切です。