・いっしょに
「喜ぶ者・・泣く者といっしょに」
人には感情があるので、喜ぶときも、悲しむときもあります。その時に「いっしょに」と勧められています。喜びは「いっしょに」ということで、さらに大きくなります。悲しみは「いっしょに」で慰められるからです。また私たちが「いっしょに」喜び泣くときに「キリストがいっしょに」にいてくださいます。
・1つ心で
さらに「互いに一つ心に」とあります。人はみな違う考え方とビジョンを持っていますが、あえてキリストゆえに一致することが求められています。教会祝福の試金石になります。
具体的には「高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応」するように勧められます。「身分の低い者」とは、小さい者、弱い者というようながあります。
「順応する」といいますのは、歩調を合わせてということです。そのように心がけることで、キリストの心を自分たちの心とする教会が形づくられていきます。(ピリピ2:3~5)
・とこしえの祝福
「主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」(133:3)と詩篇にあります。
一つ心の教会の姿は、旧新約の時代を通じて理想とされてきたありかたです。私たちはキリストの姿勢から、その心を学び続け、実現に向かっていきましょう。
2012/2/12 創世記1:26~27,3:6 神のかたち・人間
・神のかたちに創造
創世記1:27にあるとおり「人間は神のかたちにつくられ」ました。神のかたちとは人格を持つ存在と言うことです。人間は人格を持つことで、神と交わり、人間どうしてでも愛によって交わりを保つのです。 さらに神のかたちである人間は尊厳を持ち、そのことが道徳の根源となります。十戒にしるされている「殺してはならない・・・」はこの啓示によります。
・神に対して堕落して死んだ
「神のかたち」であることは、神の御言葉と霊によって保たれていました。ところがその断絶が生じます。神ではないものの言葉に惑わされて堕落するのです。 堕落の結果、罪と死が全人類に及びます。そして自分の力や知恵では立ち返ることができない状態になりました。 さらに堕落は深刻で根深く、「神のように」という傲慢、また神に対する反逆心が宿るようになります。
・新生による霊的生命(神のかたち)の回復
「聖霊による新生を通じてのみ救いと霊的生命を与えられる」とあります。つまりイエス・キリストを信じるときに、人は聖霊によって新生すると言うことです。この時に、人は再び神の言葉と霊的生命の中で神のかたちを回復することになります。むしろ神の子キリストに似たものとされるので、初めのかたち以上の回復となります。もはや罪も死も、新しい生命を破壊することはできません。
創世記1:27にあるとおり「人間は神のかたちにつくられ」ました。神のかたちとは人格を持つ存在と言うことです。人間は人格を持つことで、神と交わり、人間どうしてでも愛によって交わりを保つのです。 さらに神のかたちである人間は尊厳を持ち、そのことが道徳の根源となります。十戒にしるされている「殺してはならない・・・」はこの啓示によります。
・神に対して堕落して死んだ
「神のかたち」であることは、神の御言葉と霊によって保たれていました。ところがその断絶が生じます。神ではないものの言葉に惑わされて堕落するのです。 堕落の結果、罪と死が全人類に及びます。そして自分の力や知恵では立ち返ることができない状態になりました。 さらに堕落は深刻で根深く、「神のように」という傲慢、また神に対する反逆心が宿るようになります。
・新生による霊的生命(神のかたち)の回復
「聖霊による新生を通じてのみ救いと霊的生命を与えられる」とあります。つまりイエス・キリストを信じるときに、人は聖霊によって新生すると言うことです。この時に、人は再び神の言葉と霊的生命の中で神のかたちを回復することになります。むしろ神の子キリストに似たものとされるので、初めのかたち以上の回復となります。もはや罪も死も、新しい生命を破壊することはできません。
2012/2/5 ローマ12:11~14 霊に燃え
・霊に燃え
教会は地上に建てられたキリストの体です。この箇所でも、教会における生活スタイルを示しています。 「勤勉で怠らず、霊に燃え」とあります。キリストが頭なのですから、与えられた聖霊の賜物と力を用いて、私たちは精一杯に奉仕するのです。そのようにして聖霊の生命が顕わになり、私たちも周囲の人々も教会に宿る新しい生命を知ります。
・希望の光を灯す
「望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい」とあります。私たちの国籍は地上ではなく神の国にあります。ですから、すべての試練に際して御国を待望し、忍耐して、希望の光を灯すのです。祈りは、私たちの心に希望を灯すよき機会となります。
・暖かい交わり
「聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。」とあります。「協力し」とはコイノニアという文字でキリスト者同士の親密な交わりを意味します。互いの足りなさに対して、互いに助け合う中で暖かい交わりが生じます。冷たい世において人間の暖かさは人を生かします。また外国人に対するもてなしは大切なコイノニアの要素です。
・神の国の兆し
世はドンドン冷え、暗くなっている時代です。教会の中で、共に霊を燃やし、希望の光を灯し、暖かさを作りましょう。そのようにして周囲の人々も神の国の到来を知らせることになるのです。
教会は地上に建てられたキリストの体です。この箇所でも、教会における生活スタイルを示しています。 「勤勉で怠らず、霊に燃え」とあります。キリストが頭なのですから、与えられた聖霊の賜物と力を用いて、私たちは精一杯に奉仕するのです。そのようにして聖霊の生命が顕わになり、私たちも周囲の人々も教会に宿る新しい生命を知ります。
・希望の光を灯す
「望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい」とあります。私たちの国籍は地上ではなく神の国にあります。ですから、すべての試練に際して御国を待望し、忍耐して、希望の光を灯すのです。祈りは、私たちの心に希望を灯すよき機会となります。
・暖かい交わり
「聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。」とあります。「協力し」とはコイノニアという文字でキリスト者同士の親密な交わりを意味します。互いの足りなさに対して、互いに助け合う中で暖かい交わりが生じます。冷たい世において人間の暖かさは人を生かします。また外国人に対するもてなしは大切なコイノニアの要素です。
・神の国の兆し
世はドンドン冷え、暗くなっている時代です。教会の中で、共に霊を燃やし、希望の光を灯し、暖かさを作りましょう。そのようにして周囲の人々も神の国の到来を知らせることになるのです。
2012/1/29 ローマ12:9~10 偽りのない愛で
・偽りのない愛で
教会は、神が愛を注がれる場です。また神の愛を実践する場です。その時、上辺だけの偽りの愛ではなく、純粋な愛を実践すべきです。その愛は、信仰心から滲み出るものですから、信仰生活の中で、絶えずキリストに向かい、そこからくみ出すのです。
・具体的な愛・・
「悪を憎み善に親しむ」とあります。聖書において、善悪は十戒に明記されています。それは隣人に対する愛の具体化です。「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽るな、貪るな、父母を敬え」、さらに与えるという積極的な行いが加えられます。これは具体的な愛の姿です。悪を嫌って離れ、善に対しては糊のように付着して生活することです。
・兄弟愛を持って
兄弟愛とは仲のいい家族の中で見られる兄弟同士の愛、親子愛の姿です。信仰者は神の家族ですから、良き父、良き長子キリストにならって互いに愛し合うと言うことです。兄弟愛によって、私たちが1つになるときに、キリストの臨在が顕わにされます。また世の人々も教会に純金のように希な愛があることを知ることになるのです。
・愛は教会の旗印
ある聖歌に「御旗は愛なり」という歌詞があります。確かに教会の旗印は愛ですから、妥協することなく、純粋な愛を、教会生活の中で求め続けていきましょう。
教会は、神が愛を注がれる場です。また神の愛を実践する場です。その時、上辺だけの偽りの愛ではなく、純粋な愛を実践すべきです。その愛は、信仰心から滲み出るものですから、信仰生活の中で、絶えずキリストに向かい、そこからくみ出すのです。
・具体的な愛・・
「悪を憎み善に親しむ」とあります。聖書において、善悪は十戒に明記されています。それは隣人に対する愛の具体化です。「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽るな、貪るな、父母を敬え」、さらに与えるという積極的な行いが加えられます。これは具体的な愛の姿です。悪を嫌って離れ、善に対しては糊のように付着して生活することです。
・兄弟愛を持って
兄弟愛とは仲のいい家族の中で見られる兄弟同士の愛、親子愛の姿です。信仰者は神の家族ですから、良き父、良き長子キリストにならって互いに愛し合うと言うことです。兄弟愛によって、私たちが1つになるときに、キリストの臨在が顕わにされます。また世の人々も教会に純金のように希な愛があることを知ることになるのです。
・愛は教会の旗印
ある聖歌に「御旗は愛なり」という歌詞があります。確かに教会の旗印は愛ですから、妥協することなく、純粋な愛を、教会生活の中で求め続けていきましょう。
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