・罪の支配
「一つの違反」「ひとりの人の不従順」によって、「すべての人」が死と罪の支配に入れられました。そこでは如何にあがいても、人は滅びと悲惨な状態から逃れることはできません。これを原罪とも、全的堕落ともいいます。まったく人間の性質が罪に腐り果て、いかなる努力も虚しい状態です。
・恵みの支配
それに対して「一つの義の行為」「ひとりの従順」によって、「多くの人」が義と認められて恵みと生命の支配の中に入れられます。如何に極悪な人間でも、如何に深刻な罪でも、むしろ罪が深ければ深いほどに恵みは注がれ、支配が強力に働きます。恵みとは、値しない罪人に大して与えられる愛だからです。
・律法を通して罪が増し加わる
神が律法を与えらたのは、人間が生来、罪の支配の中にあることを知らせるためでした。「殺すな、姦淫するな、盗むな」・・・、あるいは「愛せよ」との命令の中で自分の行いにおける違反、心の中の罪を認めざるを得ないです。さらに人間存在の根底にある原罪を認めざるを得ないのです。
・恵みも満ちあふれ
しかし、罪の1つ1つ、さらに原罪を認識ときに、その認識がが深ければ深いほどキリストの「恵みも満ちあふれ」るのです。恵みはいつの場合でも、罪の認識の中で働くからです。
私たちの人生、あるいは信仰生活において危機の時があります。それは自分の罪深さ、弱さが深く認識されるときですが、そのときにこそキリストを見上げるべきです。
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