2011/08/28 ローマ8:26~27 御霊の助け

・弱い私たちと御霊の助け
 私たちは神の子とされていますが、私たちは肉を持つゆえに地上では弱い存在です。孤立感、罪の誘惑、絶望感、不安と恐怖感の中で祈ることさえままならない状態になるのです。しかし御霊は、孤立無援の私たちの近くで常に助けて下さる方です。
 主イエスは天に帰られましたが、「あなたがたを孤児にはしない」と約束して「もう一人の助け主」を下さったのです。御霊は常に私たちと共にいて慰め、励まし、導びいて下さるのです。また私たちに寄り添って「しっかりと抱きかかえて」下さる方です。

・御霊のとりなし
 御霊の強力な働きは、とりなしです。私たちは地上の生活でも、何らかの人々のとりなし(仲介)の中で生かされている存在です。そのとりなしの中でも、御霊のとりなしこそが、何よりも重要です。
 御霊は、私の内にあって「いいようもない深いうめきによって」父の神に対してとりなしをします。ちょうど福音書において主イエスが人々のために深く同情して祈るようです。その祈りを父の神が聞いてくださらないわけがないのです。

・祈れないときも静まること
 私たちは確かに弱く祈れないこともしばしばです。しかし祈れない時にも、ただ神の前に「静まる」姿勢だけは持つべきです。祈りの言葉はなくとも、御霊はその時に、「いいようもない深いうめきによって」私たちのためにとりなして下さるからです。

2011/7/31 ローマ8:12~17 「アバ、父」と呼ぶ霊

・御霊に導かれる人は神の子ども
 キリストを信じる者は、肉に対する責任を問われる必要はありません。「肉」とは肉欲というだけではなく、社会的な義理人情、家族の絆も含まれます。肉の世界は、つかの間の向く森を与えるようですが、その結末は絶望と死です。
 キリスト者はただ神に対してだけ心を向けるべきです。それが新しい御霊に導かれる者としての姿であり、「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。」

・「アバ、父」と呼ぶ霊
 私たちは、御霊によって神を「アバ、父。」と呼びます。それは愛されている子として信頼と親しみを込めた祈りです。また地上でのイエス・キリストが神に向かって祈る姿勢であり、日々の生活の基盤でした。
 人間でも親に対する信頼関係の中で人格が育っていきます。神の子も御霊によって、「アバ、父」と祈る中で成長します。

・苦難の中での祈り
 地上の生涯において、キリストは様々な苦難に出会いましたが、同じようにキリスト者も同じ苦難があります。しかし苦難はキリスト者には重要な意味があります。苦難にあずかることで、天の相続がいよいよ明瞭にされるということです。
 私たちは苦難の中で、「アバ、父」と切に祈らざるを得ませんが、その時に、御霊は私たちの魂に、天の永遠の相続と栄光を証するのです.